黒の美

十二月四日土(晴)
九時より一如庵にて尺八稽古。布袋軒三谷及び鈴慕を吹く。十時辞して駅前にて一茶の後地下鉄で青山一丁目に到る。徒歩南下する途上乃木神社横に乃木希典将軍の旧居が保存されてゐるのを知り公園に足を踏み入れる。南向きの傾斜地の四・五百坪くらいの土地に案に反して瓦葺ながら山小屋風の黒き居館があり、周囲に繞らされた台の上から中を覗きこむ格好になつてゐる。乃木夫妻自決の間も表示があり凄惨な雰囲気を感ず。谷寄りの菜園、表門横の厩舎など往時を彷彿とさせる姿のまま残れり。先週の土曜に続き都内散策により思ひがけぬ物を見る。其の儘六本木方面に歩き東京ミツドタウン内ガレリア三階のカバーニツポンなるシヨツプに往く。日吉屋といふ京都の和傘屋が和紙を使つた電燈を出してゐるのをネツトで知り、嶺庵に其れを付けやうかと思つてをり、実物を見に行つたのである。目当ては機械漉の和紙を用いた二灯式で明るさも十分なものであつたが、実際に見ると矢張り手漉き和紙を使つた丈が少し短いものの方が遥かに良い。ただ、値段が機械漉のほぼ倍になるのと、一灯式なので読み書きもする嶺庵の灯りとしてはやや暗いのが難である。どちらにせよ在庫はないさうなので迷つたまま店を後にす。同じフロアの別の店で竹と綿糸で織り込んだテイーマツトを購ふ。花瓶や飾り物の敷き布に丁度良いと思つたのだ。わたしは何故か敷物が好きで、良ささうなのがあるとつい買つてしまふ。古袱紗や敷板もあるし、龍村美術織物などの古代織、古代裂の文様を再現したものなど何枚も持つてゐて花瓶や香炉、水滴などを置く際に敷く。季節や花などによつて組み合せを変へて楽しむのである。
ガレリアを出てすぐ横の富士フイルムのフオトサロン内で土門拳の作品が展示されてゐたので入つて観る。室生寺の仏像や景色を撮つた一連の作品で、弥勒堂の釈迦如来坐像を横顔のアツプで捉へた一枚は特に美しかつた。仏のプロフイールによつて切り取られた背後の黒が美しいのである。光学フィルムの白黒プリントでなければなかなか出ない黒であり、日本の家屋や寺院の持つ、暗黒や暗闇とは異なる艶も潤ひも空気の柔らかさも感じさせる飴色の質感を持つた漆黒である。最近かういふ美しい黒の色を見ることがなかつたので暫し見とれた。家具や置物、器などでも朱や白では割りに良いものを見かけるけれど、黒の美しさが際立つものは余り見ない。デジタル化されたテレビや写真の黒には何の魅力も感じられないのである。本当の黒にはデジタル化され得ない何かがあるのではないかと思ふ。今後わたしは身につけるものを白と黒だけにしやうと思つてゐるが、気に入る黒の衣類を見つけ出すのはそんなに簡単ではないかも知れぬ。