文房と仏典

十二月三日(金)雨後晴
昨夜より大雨。風も強し。朝家を出ると近くのいたち川の水位が今まで見た中で一番上つてゐて心配したが、電車に乗つてゐる間に晴れてきた。そして気温も上り暑いくらゐである。会社に着くと北西の方向に大きな虹が出てゐた。今週は外出も無く定時には会社を出て六時半過ぎには嶺庵に座して尺八を吹く生活が出来てゐる。一時間程吹いてから簡単な夕食を取り、其れから寝る時間まで嶺庵で仏教関係の本を読む。其れが実に楽しい。
昨日は帰りに根岸線のダイヤが乱れてゐた為大船で降りてバスターミナル近くの古本屋「遊ブツクス」に立ち寄る。木耳社の「文房入門講座」といふ四巻の本が千六百円で店頭に並んでゐたので思はず購入。基礎篇実用篇鑑賞篇手作り工夫篇からなる四巻である。言ふまでもなく、文房とは文人の書斎のことを指すが、文房具の言葉もあるやうに普通は文房四宝、即ち墨筆硯紙を含めた机周りの文具を言ふ。既に中田勇次郎博士の『文房清玩』の一冊を所有してゐるが、此方は本場中国の文房や文人趣味の文集で、余りに高踏的に過ぎてわたしのやうな「入門」者にはこのくらゐのものが丁度よい。硯の台や硯屏を自分が手作りするとも思へないが、水滴や硯や筆筒の写真を見てゐるだけでも楽しい。其れから名著復刻シリーズが三百円均一で売られてゐたので三木露風の『廃園』も購ふ。復刻シリーズを集める趣味はないのだが、偶々此の本が凝つた造本になつてゐたのと、詩歌はものによつてはかうした古い活字の方が感じが出ることもあつて安くもあり求めたものである。三木露風北原白秋大手拓次と並んで香りや匂ひを頻繁に詩に詠み込んだ稀有な詩人のひとりであり、今どき読む人も少ないけれど、日本語の可能性を考へる為にも読む価値のある詩人だとわたしは思ふ。更に岩波文庫の『ブッダ最後の旅』も見つけて購入。之は今読んでゐる末木文美士の『仏典をよむ』で取り上げられた『遊行経』の元になつた原始仏典で、表題の通りゴーダマの涅槃と其の直後の様子までが描かれてゐる。何か胸騒ぎのやうなものがあつて昨夜はまず此の書から読み始めた。中村元の丁寧な注釈を読むうちパーリ語までは無理にしてもサンスクリツト語くらゐは勉強してみたい気になつて来た。まあ、其の前に漢文をもう少し何とかしなくてはならないのだが。