象山の書

三月二十三日(月)晴、寒し
松本健一著『佐久間象山・下巻』讀了。幕末の思想や政局を知る上での新たな視点を與へられた感あり。象山先生への畏敬の念を更に強くす。又、余得としては、此の書を讀んで吉田松陰を前ほどには忌み嫌はなくなつたといふ事がある。依然好きにはなれぬが、象山先生にも認められた凛然たる志気には多少敬すべき處はあるやうである。
昨日圖書館より信濃毎日新聞社刊『象山の書』を借りる。大型本にて圖書館にて借りた書籍のうち今までで最も重量のある本也。一見括目、特に小楷の気品端正、行書の流麗にして結構の宜しき事予想を越え、更に仮名連綿の衒はぬ素直な書きぶりに至つて、余象山の書の正に称賛すべき古典たるを知る。近代書家の個性の表出を目指す余りのわざとらしさは微塵もなく、しかも放恣に流れず。書幅の一氣に書き下す勢ひの豪氣も棄て難しと雖も、隷書や小楷の稠密にして丹念な書きぶり神韻に達す。宮島詠士先生の書と並んで手鑑とすべきもの也。兩先生とも海舟先生と淺からぬ縁あるも余には嬉しき事也。余五十肩の惡化により日々の臨書を廃して久しく筆硯から遠ざかる事半年余りになりぬ。今偶々象山先生の書を目にするに當り、入木の道への志勃然として再起す。因みに象山の書と云はれてゐるものには贋作多しといふ。信州では一茶、良寛と並んで贋作が多い事で有名なりと言ふ。しかも象山の本物の印章が流出したこともあつて真贋の判定は中々難しいやうだが、逆に殆ど贋作と考へて間違ひないといふ意見もある。偽物の作者も特定されてゐて、一人は駒寅(こまとら)といふ仇名まで知られる偽書の名人ださうだ。余の所蔵する掛軸もけだし其の類ならんか。蛇足だが、人氣があつて同じく贋作の多さで知られる松陰や頼山陽の書をば余は好まず。下手ではないのだらうが、好きになれぬのである。下手なりに味があるのは寧ろ木堂犬養毅の方だらうと思つてゐる。
亦昨晩は『佐久間象山』中にて言及のあつた石黒忠悳著『懐旧九十年』を註文す。岩波文庫古本にて二百五十八圓也。石黒の名は近代醫學史や教育史に於いて最近よく目にしてゐるが、象山先生の影響を多大に受けた人物である事を同書によつて知りたる故なり。但し石黒は鷗外先生の上官にして兩者の間に確執ありとも聞く。其の邊も同書に記述あれば讀んでみたきもの也。