象山

三月二十日(金)陰
松本健一著『佐久間象山』上巻讀了。余は象山のフアンである。松代にも行つたし、京都妙心寺大法院の墓も訪ねた。木屋町の暗殺された邊りには何度も足を運んでゐる。京都の彼方此方の寺に殘る揮毫を見て其の書が氣に入りオークシヨンで象山筆の書幅を二幅落札もしてゐる。何より尊敬する勝海舟先生が尊敬した人であるから尊敬の二乘である。其れでゐて今まで象山の書いた書籍や象山に就きて書かれた書物を殆ど讀んだ事がなかつた。歴史小説大河ドラマなどで描かれた姿を間接的に知つて勝手に尊敬してゐただけだつたのである。先日珍しく新本屋に行つたところ、文庫の場所に此の本が平積みされてあつた。流石に新本は表紙のカバーなども美麗で、手に取つてみたら読みたくなつたといふ次第である。余は其の弟子である吉田松陰が大嫌ひなので、大河ドラマ絡みの増刷だつたら嫌だつたがさうでもないらしい。単行本が今年の始めに文庫化されたやうである。讀み出したら面白くて止まらなくなつた。今まで考へてみると余は松本健一の著作を讀んだ事がない。『北一輝傳』を讀んだ積りになつてゐたが、余が讀んだのは渡邊京二の方であつた。右寄りといふ勝手なイメージもあつて不覚にも讀まずに居たのだが、今囘讀んでみて態度を改める事にした。文章は上手いし分かりやすい。此れを讀む前やはり初めて熊野純彦の本(『和辻哲郎岩波新書)を讀んでゐて獨特の文體と用語の分かりにくさに苦しんだ後だけに、その明快さは讀む喜びを思ひ出させてくれるものであつた。漢詩や漢文體の語釈や現代語訳は中村真一郎より親切で適切であり、其の學識の深さを知るのに十分であつた。早速松本の著作二冊を註文す。併せて岩波日本思想體系五十五巻も註文。崋山や横井小楠、象山や左内を収めた巻である。當然古本で、三冊合計の金額が、新本で買つた此の文庫本一冊とほぼ同等である。かうして本は増え小遣ひは乏しくなつて行く訳である。