山陽道

十二月二十八日(日)晴
やつとの事で『頼山陽とその時代』讀了。山陽に對するアレルギーは、余の世代は旧制高等学校出身のインテリに比すれば左程強いものではなかつた筈だが、其れでもご多分に漏れず尊王のイデオローグで悲憤慷慨調のわざとらしい文章家といふイメージしかなかつた。さうしたクリシエは大いに改まつたし、此の長編史傳風エツセも面白く讀んだが、だからと言つて山陽が好きになつたかと言ふとさうはならない。新日本古典文學大系の『菅茶山・頼山陽詩集』こそ安かつたので買つてはみたが、正直讀む氣にならない。山陽その人よりも「その時代」の方に關心が強いのであらう。其の點では大いに資する處があつたやうに思ふ。
中村真一郎の最晩年の大作『木村蒹葭堂のサロン』を先に讀んだせゐもあるのだらうが、中村が此の手の作品として最初に手掛けたものだけに、対象を扱ふ手並みに多少不慣れな感じと、其れ故に新鮮な印象が混じるのは致し方なからう。蒹葭堂の方は流石に手慣れの文章で安心して讀めたのだが、今囘同時に鷗外の『伊澤蘭軒』を讀み進めてゐた事もあつて、文章の味はひといふ點で遠く鷗外に及ばぬ事は認めねばなるまい。対象となる人物としては蘭軒より山陽の方が一流の筈なのに、蘭軒の方を遥かに尊敬する氣になるのは文章の力かも知れない。少なくとも引用される漢詩に關して言へば、蘭軒の詩の方が平明で分かりやすく好きなものが多かつた。但し、是は山陽の詩を味讀出來ぬ余の漢文讀解力の貧しさが然らしむ事かも知れぬので、廣言は憚ることにしたい。ちなみに山陽と蘭軒は知己であり共通の師友も多く、特に菅茶山は二人に親しい存在である。とは言へ茶山にしてみれば才を認めて後繼者と目しながら裏切られた感のある山陽よりも、同じ福山藩に属する蘭軒により心を許してゐた事を實感出來たのは二つの本を併讀した僥倖であらう。