經行と陀羅尼

 法華経譬喩品を読んでゐて佛前読經を考へる上でのヒントとなりさうな語句を見つけた。漢文で「經行」と書かれるものだが、該当する箇所の植木雅俊によるサンスクリツト語からの現代語訳では「そぞろ歩き」となつてゐる。經行(きやうぎやう)とは梵語チヤンクラマナの訳語であり、意味は經を讀みながら或る一定の場所を歩き回ることで、インドでは僧侶など修行者の運動法のひとつだといふ(『日常佛教語』岩本裕中公新書)。だとすると法華経の此の箇所で經行と訳するのはをかしな話ではないか。何故なら是は佛陀に対して弟子の舎利弗が答へる言葉の中に出てくるもので、佛陀生前に「經」などといふものはなかつた筈だからである。しかも植木訳では「そぞろ歩きによつて休憩をとつて」ゐたと言ふのであり、經を誦むことを休息とは取り難いから、此処は明らかに漢訳をした鳩摩羅什が後の用法に惑はされて意訳してしまつたと見た方がよい。もつとも永平寺などでは坐禅の合間に脚の血行を戻す為に禅堂を歩き回り、之を經行と書いて「きんひん」と言つてゐる。但し經を誦む訳ではないから、是など寧ろ原義に近いのかも知れない。一方で「行道(ぎやうだう)」といふ言葉もあつて、此方は僧が佛殿などで列をなして歩きながら読經をすることで、佛像の廻りを歩くこともある。此方の方が余程「經行」に近い気もするのだが、此の言葉に抑々元のサンスクリツト語があるのかだうか分からない。
 とにかく、何が言ひたいかといふと、お經のない時代に經を唱へながら歩く訳はないから、坐禅の合間の軽い運動として歩くことがまずあつたのだらうといふことだ。そして、佛陀入滅後には佛陀の教へが口伝されて、其れを歩きながら復唱することもあつたのではないか。更に經典が出来上がつた後にはさうして歩きながら經を誦むといふことが習慣化し、其れが長く僧院で行はれてゐた為に、漢訳がなされる頃には「經行」といふ訳語がぴつたりとする事態に至つてゐたのではないだらうか。其処で思ひ出すのは「陀羅尼」である。此れは梵語ダーラニーの音写で、本来すべてのことをよく記憶して忘れない力を意味し、一種の記憶術として口でつぶやくことであつた。其のつぶやきが呪文を唱へるのに似てゐることから呪文そのものが陀羅尼と呼ばれるやうになつたといふ(『佛教入門』岩本裕中公新書)。日本では梵音を漢字で音写した、普通には全く意味の分からない經文を陀羅尼と称してゐる。
 此れらの事から、次のやうに考へられるのではないか。即ち、チヤンクラマナと呼ばれる修行者の歩行運動中に、佛陀の教へや其の口伝を忘れぬやうに記憶術としてダーラニーを取り入れる者もあつたであらう。此の習慣が広まり、また經典が成立してからも其れを暗誦すべく經を歩きながら誦むことが続いた為に、いつしかチヤンクラマナは単なるそぞろ歩きから、經を誦みながら歩くことを意味するやうになつたといふことではないかとわたしは思ふのである。まだ不確かな知識を元にした仮説に過ぎないが、「読經」といふ行為の原初の形を僅かなりとも垣間見させてくれるのが、此の「經行」といふ言葉であるのは確かであらう。少なくとも、經典が成立した当初から佛像に向つて読經してゐた訳ではないことが、「經行」といふ言葉から伺へるのではないか。一方の佛像だが、同じ法華経には塔廟や佛像に対して為すべき供養が列記されてゐて、其の中には佛の徳を誉め讃へて歌を唄ふことは挙げられてゐるものの、佛像への読經については触れられてゐない。法華経には法華経といふ經典を読誦することの功徳が經文中に繰り返し述べられてゐるにも関拘らず、である。法華経が成立する時期には既に佛像は出現してゐた筈だが、其の時点では佛前で經を誦む事は行はれてゐなかつたと考へて良い。問題は其の後いつ、どこで、どのやうに佛前読經が始まつたかなのである。