杜撰

八月六日(水)
同じく圖書館で借りた、松田延夫といふ人の書いた『益田鈍翁をめぐる9人の數寄者たち』なる本をぱらぱら捲つてみて驚いた。兎に角文章が酷い。言葉遣ひに落ち着きがなく、文が先走り、かつ話題が前後する。其の上杜撰である。行が飛んでゐたり、誤字脱字は枚挙に暇がない程である。道具屋の道元老人を大元老人と書いたり、鈍翁の弟英作が店主を務めた骨董屋「多聞店」を、洒落と知らずか馬鹿正直に「多聞天」と表記するなど、ちよつと見ただけでも呆れ返る程間違ひだらけである。讀賣新聞の記者上りださうだが、三流大學の早稲田とやらの佛文科を出てゐるといふから、碌な者ではあるまい。偉さうなもの言ひも嫌味である。今通勤時に白崎秀雄による『鈍翁・益田孝』を讀んでゐて、益田孝の周辺を更に知らうと手にしたものの、こんなものを讀むくらゐなら、全八巻になる箒庵の日記『万象録』をじつくり最初から讀んだ方が、手間は掛るが遥かに得る物は多いだらう。樂をしやうとした自分にも咎はあるが、まあ、少し讀んだだけでも書かれてゐる事は大方他で讀んだ事ばかりであるし、此れ以上讀むのは止めにしやう。最近では珍しく、杜撰で文章の拙い本に出會つて驚いたので記す。尤も、余にしたところで、茶道具の最高峰に付けられた「大名物(おおめいぶつ、と讀む)」を、大名が持つてゐた物だからだらうと「だいみやうもの」と讀んでゐたくらゐだから決して威張れるものではないが、少なくとも茶の湯の本を書かうとは思つてゐない分、松田某との比較に於いてマシといふだけである。其れにしても早稲田といふ大學は博士号を與へるに際しても杜撰であり、こんな杜撰な本を書くやうな記者上りの半可通を輩出してゐる事から見ても、慶應義塾との差は開くばかりである。三井財閥慶應出身の財界茶人の話ばかり讀んでゐるから余計にさう思ふのであらうが、身近な自分の會社の例で見ても有能なのは慶應出身に多く、早稲田や東大出身に碌な者がゐないのもまた事實である。