キリスト教の勝利、或いは不寛容な世界の出現

 「ローマ人の物語」第14巻『キリストの勝利』読了。ユリアヌスとテオドシウスという、方やギリシアの哲人を理想としてキリスト教徒の横暴を防ぎたい皇帝と、一方は完全にキリスト教に取り込まれて伝統的な多神教を禁じるに至った皇帝が登場する時代である…。わたしはもともとこの「背教者」という枕詞とともに呼ばれることの多いユリアヌスに興味があったのである。塩野七生によれば、この「背教者」という呼び方は正しくないとする。背教するためにはそれに先立ってキリスト教を信じていたことが前提となるが、若き日に幽閉されてキリスト教の監視下におかれながら、とりあえずキリスト教徒として振舞っていたもののそれは生き延びるための方策であり、ユリアヌスは最初から信じていないのだから背教ではないというのである。

 反キリスト教ということで共感を覚えていたユリアヌス帝だが、この本を読んで想像していた以上の知識人、哲人であると同時に優れた軍人、すなわちローマ皇帝に相応しい知略と胆力に富んだ将であったことを知った。それで、先日読んだ『ヒュパティア』の訳者である中西恭子という人が書いた『ユリアヌスの信仰世界』も読み始めた。『ヒュパティア』にも頻出したイアンブリコスについても詳しく書かれていて、新プラトン主義について通り一遍の知識しかないわたしにとってはなかなか勉強になる本である。ユリアヌス帝にはますます興味が湧いてきて、小説だから読む気のなかった辻邦生の『背教者ユリアヌス』も読んでみようかと思っている。

 思えば、ローマ皇帝に興味を持ち始めたのはユルスナールの『ハドリアヌス帝の回想』を読んだのがきっかけと言ってよく、最近よく読まれているらしいマルクス・アウレリウスの『自省録』を大学のころに読んで決定的になったように思う。「賢帝」や「哲人皇帝」が好きなのであって、ネロやカリグラや剣闘士に興味があったわけではない。そして、大学三年に初めてヨーロッパに渡るとローマ市内の古代遺跡およびハドリアヌス帝の別荘を訪ねた。わたしの中でヨーロッパへの憧れが最も高まった時期かも知れない。ただ、同時にまだキリスト教一神教の悪辣ぶりに気づくこともなく、バチカンをはじめとして多くの教会やカタコンベまで見学していたのだから己の無節操ぶりには今になって呆れるしかない。まあ、観光客としては当たり前のコースに従っただけなのだが。

 もうひとりのテオドシウスについては、ミラノ司教アンブロシウスの奸計があったとは言え、キリスト教の軍門の前にローマ皇帝の権威さえ失って伝統的多神教を禁じたことに憎しみを覚える。言ってみれば、仏教が日本に入って神祇思想一切を否定するようなものであり、自然崇拝を排除するに等しい。仏教の場合、むしろ偶像(仏像)を持ち込んだのは仏教の方で、神像はその影響でできたくらいだから、偶像崇拝を禁じてギリシア・ローマの華麗な彫刻群を棄却させたテオドシウスのようなことは起こらなかったのは当然ではあるのだが。というより、そもそも仏教はずっと伝統的多神教の土俗の神々と共存してきたのだから、そうした伝統のもとに生きてきた我々には、テオドシウス的不寛容さには驚くしかないのである。ローマの神殿や神像、数々の彫刻を棄却させたテオドシウスやアンブロシウスは、要するにタリバンと何ら違いはないことになる。そういえば明治の廃仏毀釈神道の神官がやったことも、それと同じではあった。不寛容な世界がまず手をつけたくなるのは、目の前にある「モノ」なのだろう。モノがあるからそれを壊す。各人の信心や信仰は目に見えず、壊そうとしても手をつけられないからである。