ユリアヌスの願い

 ユリアヌス帝が復興しようとしたのは、我々がギリシア・ローマの神話の神々として知るユーピテルやアポロンといった神に捧げる神殿と、そこで行われる祭祀や神託などである。コンスタンティヌス帝によるキリスト教の公認と皇室資産のキリスト教会への寄付から始まり、その息子コンスタンティウス帝が行った、たとえば教会の免税や聖職者に財産所有を認める優遇策などにより、父祖伝来の神々への祭祀は著しく衰えていたのである。神々の神殿は破壊されたり放棄された場合、その石材や木材を勝手に持ち去って自分の住居用などに使っても問題ないとされたというから驚く。家を建てたいがために神殿を破壊することも容認されたようなものだから、父祖伝来の信仰の場は荒らされ、キリスト教徒は思うがままに振舞うようになった。

 ユリアヌス帝の願いは、キリスト教や唯一の神に汚染されていなかった古典ギリシアの哲人たちの時代に立ち帰ることであり、新プラトン主義の宗教観に基づき魂の浄化や神々との交感をめざすことであった。その一方で、前代の皇帝たちの治下で進んだキリスト教会優遇策や特権は順次撤廃し、神殿を破壊して建てた教会を再び神殿に戻させたりしている。一方で、ユリアヌスの政策はキリスト教内部での対立も激化させたとも言われている。後にカトリックの名で知られるアタナシウス派アリウス派の対立が有名だがこの他にも別の主張をする派もあり、正統と異端をめぐる争いは、「異教」に対する争いよりも熾烈で徹底的なものがあったようである。キリスト教の不寛容の見本のような話である。日本の仏教にも南都北嶺から鎌倉期の禅宗浄土教法華宗の勃興に至る興亡はあるし、その対立や抗争はあったものの、やはり一神教的な徹底排除にまではエスカレートしていない。ヒュパティアが殺されたアレクサンドリアには、キリスト教二派とユダヤ教、そして伝統的多神教がひしめいていたのだから、諸宗教併存ないし宗教の自由が保障されないかぎり、血で血を洗う抗争が起こるのも仕方のないことにさえ思えてくる。

 ところで、ユリアヌス帝は著作や書簡などが残されていて、皇帝として行った政策・施策だけでなく、書いたものからもその思想を理解できる。『ユリアヌスの信仰世界』がまさに、それを試みた書物ということになる。もちろん、ヨーロッパにはこの手の学究の蓄積があるようだが、とりあえず日本語でユリアヌスの思想や宗教観を知ることができるのはありがたい。ユリアヌスの「ひげぎらい」と訳されるMisopogonという書の翻訳は管見ではなされていないようだが、欧米語には訳されているのでそのうち読んでみたいと思っている。ついに始めたラテン語が読めるようになったら、原典を読んでみたいとも思うが、その道のりは遠い。