嫌いなもの

八月十六日(水)雨
先日、会社でライフプランセミナーなるものを受講した。要するに、定年後の老後に備え、お金の心配をしておきなさいということである。もうそんな歳になったのかと思えば転た悄然とせざるを得ないが、逆にもっと早くにこういうことを聞いていたら、もう少し貯金が出来たのではないかとも思うのである。我々の世代は年金が出るのも遅いし、補償も悪くなる一方であるらしい。今でも慎ましい生活だが、定年後はもっと切り詰めなくてはならないようだ。
ところで、その中で節税対策としてふるさと納税が紹介されていた。余はこの制度がもともと嫌いであったが、話を聞いて心からの嫌悪と嘆息を感じるようになった。これは全く社会の公正とか公平さといったものを蔑ろにする、見下げ果てた制度である。何でも、払った額から2000円を引いた額が、その年に自分の居住する自治体に払うはずの住民税から控除されるのだという。その上、お礼の品が貰えるのだから得だとライフプランナーなる者が薦めるのだが、自分の住む地域の税収が減って社会福祉を始めとする行政に支障が出ても我関せずで得意顔でいられる人間がまず信じられない。本来納めるべき場所から簒奪して勝手にお礼の品で選んだところに収めて平気でいられるというのはどういう神経なのだろう。いや、百歩譲って、自分の本当の故郷であるのなら、まだ良しとしよう。ところが多くは特産品や豪華な返礼で釣って儲けている自治体への納税に集中しているというのだから何をかいわんやである。地方の財政が厳しいのは確かだろうが、自ら打開を図ろうとせずにこんなインチキな政府のやり方の尻馬に乗るとは恐れ入る。地方自治体のプライドも志しもここまで低いとは。こんな形で一時的に歳入が増えたとして、それもいっときの付け焼き刃に過ぎまい。これに似たものにプレミアム商品券がある。地元の小売業を一時的には潤すことはあっても、決してその状況は長続きしないし、安直な方法に頼れば頼るほど、根本的な状況から遠くなることはわかりそうなものだ。古代ローマの皇帝の人気取りにも等しい小賢しい愚民政策であり、問題解決の先延ばしである。目先の小さな利益に捉われて、国の根幹の大計を誤りかねない。住民税は高く、その使い途に厳しい目を向ける必要はあるが、その納入先を勝手に変えて得をするという、この余りに社会的公正さを欠く制度が早く無くなることを願うのみである。