日課大全

 例年にない蟄居謹慎の連休である。朝七時過ぎに起きて、洗顔の後まずストレッチをする。軽めの朝食の後八時代には書斎に入り、珈琲を飲みながら読書執筆で午前中を過ごす。やや遅めの昼食は、ステーキやパスタなど一日のメインの食事としてワインを飲みながらゆっくりと食べる。その後、アマゾンプライムで映画を一本見る。ジャームッシュの「パターソン」や、「ヒトラーの忘れもの」「手紙は覚えている」「砂の器」なんかが面白かった。それから散歩に出掛ける。在宅勤務になって以来運動不足となって体重が増えているからである。今までよく歩いていた川沿いの遊歩道は歩いている人が多いので避け、横浜市内に散在する「市民の森」という里山の森の、ちょっとした山道と尾根道を歩き、それから道が広いわりに車や人の行き来の少ない住宅街などを一時間ほど歩くのである。帰宅して手を洗ってから、居間でCDを一枚聴く。昨日はベートーヴェン弦楽四重奏、今日はバッハの無伴奏チェロといった按排である。終わるとすでに夕方となっているので、入浴したり、軽くピラティスをしたり尺八を吹いたりして過ごし、体重を減らすために軽めの夕食をとった後再び書斎で十一時まで読書執筆である。めりはりがないせいか、同じような毎日があっという間に過ぎて行く。これに病院通いでも加われば、定年後の生活を先取りしているようなものである。

 飲みに行くこともないので小遣いが余るのでワインをネットで買いためては家で飲んでいる。例の、国から支給されるという十万円は、ワインセラーや普段は買えない高いワインなどで、散財に近い形で使い切ろうと思っている。仕事がなくなり生活に困っている人は生活に回すのは当然であろうが、支給の究極の目的は経済を活性化させるためにほかならないのであるから、それほど経済的な困窮に至っていない者は、貯金や生活費に充てるのではなく、普段買えないような贅沢品や嗜好品に費やすのがスジだと思うからである。

 生活や消費のスタイルが、完全にもとに戻ることはないのだろう。突然すべてが変わるのではなく、こうした日々の積みかさねによって、いつの間にか当たり前になっていることが新たな日常になるのであろう。同時に、少しずつかつての日常に戻るにしても、記憶の中の日常とどこか違う、何か違和感があると感じながら、いつの間にかそれにも慣れて行くのだろう。9.11のときも、3.11のときも、その直後の日々の暮らしの細部は断片的にしか覚えていない。非日常な日課は、事細かく記しておかない限り、前後の日常と混ざり合って、ただぼんやりとしたものになってしまうもののようである。