バブルの総括

 岸宣仁著『賢人たちの誤算―検証バブル経済』を何日か前に読み終えた。社史の執筆で80年代後半から90年代に至り、自分が入社した後の時代となり、あらためてあの頃のことを詳しく知りたいと思いあれこれ読んでいる。中でも『日本経済の記録』第一巻はニクソンショックオイルショック後の日本経済の状況から、バブルの発生、崩壊、その後の低迷を、政治経済社会への広い視野で、総括的かつ丁寧にまとめていて、きわめて有益な書物だと思う。そうした記録を残すことも、バブルの反省から生まれたもののようだが、バブル崩壊が日本社会や経済、そして旧大蔵省のエリート官僚に与えた影響の大きさを感じさせてくれる本である。

 『賢人たちの誤算―検証バブル経済』は、その『日本経済の記録』に引用文献として出ていたので読んでみる気になったものだ。日本経済新聞社から1994年に出たもので、アカデミックな著作ではなく、ジャーナリスティックな読み物ではあるが、面白く読んだ。私は1985年の入社だから、いわゆるバブル期入社組ではない。第二次オイルショックの危機から立ち直り、再び力強く経済成長を遂げようとしながら、日米貿易摩擦の末にプラザ合意円高が進む、大きな分岐点となった年である。ところが当時私は社会経済の状況などにまったく関心のない、大文字の馬鹿新入社員であり、おぼろげに新聞などで読んだ覚えのある出来事に、どういう経緯があり、それがその後どのような事態につながるのかを、今さらながらに理解している最中である。

 94年という、バブル崩壊後の、今から見れば直後といっていい時期に書かれた本だけに、当事者の発言などかなり生々しいものがある。それでも、その後長くつづく低迷と、さまざまな災害(阪神淡路大震災東日本大震災もまだ起こっていない!)や犯罪、テロ、日本も無縁ではいられなくなった海外での戦争があり、そして格差と少子化、高齢化が進んだ現在を知る我々の目からすると、まだ楽観的というか、希望のあった時代のように思えてしまう。タイムマシーンに乗ってその時代に舞い降りた人のように、「その後」を知っていると、「その時」を生きている人がけなげにも気の毒にも思えて来るのである。経済関係の古い本など、状況が変わっているから読む価値はないと思っていたが大間違いであった。すでに90年代に出た経済キーワードの本も読んでみたが、「今」との違いも含め、これが結構面白い。今や死語となったことばからはあの時代の感覚が蘇る気がするし、同じことばが微妙に意味を変えていることに気づき、その理由を考えるといろいろなことが見えて来る、といったこともある。

 それにしても、94年の状況が現在とある意味決定的に隔絶していることに驚かざるを得ない。公定歩合2.5%を歴史的低金利といっていた時代であり、スマートフォンもフクシマの放射能の脅威もドローンもない時代である。過去というのはそう見えるものなのかも知れないが、その後のさまざまな事件を知っていると、あの頃がのんびりとした平和なものに思えてくる。それでいて、本書が懸念していた、格差の拡大や日本的雇用形態の崩壊が実際に起こったことを思うと、暗澹たる思いになる。政治の劣化は21世紀に入っていよいよ加速しているが、それもこれも、日本国民がいつからか社会の不公正に対する怒りを忘れ、ただ身近な細事にむかっ腹をたてるばかりで、結果的にすべてを諦めてしまったからではないかと思う。バブルの影響は、その時代を生きた人たち以上に、その後に生まれた世代に大きいように思うのだが、その責任が自分たちにあることに、われわれは無自覚すぎるような気がしている。