戦争調査会

十二月二十二日(金)晴
井上寿一『戦争調査会』(講談社現代新書)読了。このところ井上寿一の本を続けて読んでいる。同じ現代新書の『第一次世界大戦と日本』、メチエの『終戦後史』である。『戦前昭和の社会』も持っている。しばらくの間井上章一と混同していて、ずいぶん芸風が変わったなと思っていたら全くの別人であった。歳は近いが寿一は学習院大学の学長である。堅実な歴史家だが、学問的成果の新書などへの「切り取り方」が上手いのであろう。大抵面白く読み、私のような素人には新発見も多い。今回の戦争調査会はその存在すら知らなかったが、その存亡の経緯とともにそこで繰り広げられた議論や調査には大いに興味を引かれた。戦争回避の努力はなぜ実らなかったのか、アメリカとの戦争に引き摺り込まれた要因はどこにあったのか、早期に戦争を終結出来なかったのは何故かといった疑問に答えるべく、同時代というよりほぼ当事者たちの発言を踏まえた考察には臨場感があって納得できるところも少なくない。野村大使による和平交渉の失敗の背景や影響、対ソ外交への過大な期待による状況認識の過誤など、類書で知られることではあるが、当事者たちの発言を踏まえると重みが違う。日中戦争は避けられる可能性や早期に和平交渉の出来るチャンスは多かったことや、南部仏印への進駐や独ソ戦の開始などの、対米戦に至るいくつかのターニングポイントについても、複数の証言から当時の状況が再現されることで説得力が増す。そして、そうした失敗や判断ミスの結果として敗戦に至ったことを肌で知る人々の、悔やんでも悔やみきれぬ思いの中での「戦争調査」の重みを改めて感じるのである。その一方で、調査会の中心となった人々は戦時中を含めて極めて真っ当な判断力と思考を保っていたことに驚きもする。中でもブロック経済の冷静な分析から当時の軍部や政府の侵略やむなしとする認識の誤っていることを指摘する渡辺銕蔵の解釈は面白い。また、調査会の設立当時の首相で総裁となった幣原喜重郎の、日中・日米戦争の起源を第一次世界大戦に求める見方も、まさにその時期から始まる社史を書いている私には興味深い。もっとも、幣原以外にも似たような見方のある、第一次大戦後の平和とデモクラシーの時代が軍人蔑視の風潮を生み、その反動でもあるかのようにやがて軍部が凶暴化するという流れというか解釈に、私は今一つ納得しかねている。軍縮により退役、予備役が増え軍属の失業者は増えたかも知れないが、また平和を謳歌してデモクラシーの到来に希望を抱いていたとしても、それがそのまま一般民衆の軍人蔑視に結びつくものなのだろうか。明治以来いつも威張っていた軍人への意趣返しという点はあるだろうが、少なくともその後の軍人たちの政治化や国家主義化がその時の蔑視に対する復讐によるものとは思えないのである。とは言え、好むと好まざるとに拘らず大正から昭和にかけての日本の歴史に関わることになる今の自分にとって、極めて示唆に富んだ一冊であった。