國民的人氣

七月十八日(水)晴後陰
吉田裕著『昭和天皇終戦史』読了(岩波新書)。先日讀み了へた『昭和天皇独白録』の内容吟味を踏まへた著作でもあり、また此の処讀んで來た近衞文麿関連の本で得た知識とも繋がる事の多い、有意義な讀書であつた。独白録がGHQによる天皇の訴追を避ける為に弁明の目的で作られたのは明白であり、それを単に天皇の回想録として讀み、其処から児島襄のやうに「お人柄」を偲んで慕ふといふ事が如何に馬鹿げたことかが分かる。さういふ目で書かれた事をもう一度思ひ出してみると、成程苦しい言ひ訳と責任転嫁、或は事実の言ひ替へとしか思へないところが多い事に今更ながら気づく。まあ、其れは東京裁判に於いて自ら政権の中枢に在つたくせに、戦争の責任を東條や陸軍に押し付け、自分の荷つた責任を自覚することもなく、保身の為に検察側に限りなく協力して行つた政府首脳部の連中の態度と変りはないのであらう。ただ、天皇は國體の護持と自分自身の保身を同一視した分だけ、覆ひ難い無様さに見える。現在の企業にあつても、責任ある地位に在りながら、不祥事が起こつても預かり知らぬ事として部下や特定の人間に責任転嫁し、涼しい顔で自己保身を図る輩が多いのは、其れが日本人といふ國民の特技であるからであらう。
また、独白録と此の本を通じて、余が其の起源を知りたいと望んだ、軟弱で優柔不断と断ずる文麿観の形成に天皇の近衞嫌ひによる発言の数々も大きな働きを為してゐたであらうことも今回理解出來た。昭和天皇と木戸に私怨の如くに嫌はれた文麿に、首相としてであれ重臣としてであれ、軍部を相手に一體どれ程の事が成し得たであらうか。
ところで、此の本の直接の主題ではないのだが、余はひとつの新たな関心を持つに至つた。其れは、近衞内閣が成立する際の説明に常套句の如くに使はれる「國民的な人氣」なるものの正體である。本當に文麿は當時國民に人氣があり、期待を一身に集めた存在だつたのであらうか。今まではさういふものかと納得して來たのだが、もし仮にさうだとして、國民はどのようにして文麿の政見や思想を知り、何処をどう共感して支持や期待をしたものなのかを余は詳しく知らずに來た。文麿に對する當時のマスメデイアの取り上げ方や評価といつたものについても一次資料を見た訳ではない。それらを知る為には、昭和初期の政治やマスコミ、言論統制などについての実情を知らねばならず、専門の歴史書に當らねばなるまいが、余にとつては興味のある問題である。