引用の仕方

一月十日(土)晴
鎌倉に買物に行く。靴を購ひ食品を買ひ古本屋に寄つて二冊を得る。御成町と小町通りにあつた古本屋二軒が無くなつてゐた。大船鎌倉周辺(に限らないのであらうが)は此処數年で古本屋がかなり減つてゐる。
藤田覚著『松平定信』讀了。老中在任時の定信の言動を追つたもので、寛政期に興味を寄せる余にとりては爲になる本であつた。一般に江戸幕府は鎖國をしてゐたと考へられてゐるが、寛永鎖國令は日本人の海外渡航ポルトガル船の来航を禁じたものであり、當時の幕閣は中國阿蘭陀を除くあらゆる國との國交を拒む意圖はなかつたのではないかと藤田は言ふ。偶々其の後百五十年に渡つて他の國が來なかつただけで、むしろ定信がロシアの交易要求に對して鎖國が祖法であるからといふ理由で拒絶した事により、初めて國法としての鎖國體勢が完成したと見るのである。中々面白い見方であらう。
ただし、書中古文書や手紙からの引用文を新仮名で表記する神經は余には全く理解が出來ない。新字はよい。実際にはくずし字で書かれてゐるのであるからそれを引用する際に正字の楷書にする必要は左程ないと思はれるからである。しかし、仮名遣ひを新仮名にしてしまふと何とも珍妙な姿となつて讀みにくい事此の上ない。学術的な書籍では勿論さういふ事はなく、また通常新書の類でも同様にきちんと旧仮名遣ひで表記してゐるのに、敢て新仮名にする意味が到底理解出來るものではないのである。