美術館と戰爭

八月二十九日(土)陰時々霧雨
昨夜、福間良明著『「戰爭體驗」の戰後史』を讀み了へた。思ひの他面白く讀んだ。高田里惠子竹内洋筒井清忠といつた人たちによる、「教養」を廻る論議や世代論を讀んでゐたこともあつて、「きけわだつみのこゑ」を軸にした戰前派、戰中派、戰後・戰無派といつた各世代の教養や戰爭、或は反戰に對するスタンスや情念の違ひ、さらに其処から來る「戰爭體驗」を繼承することの困難さをよく理解出來たやうに思ふ。そして、思ひがけず自分が戰中派の心情に最もシムパシーを感じてゐることに氣付かされた。ひとつには安田武の再發見といふことがある。余はこの人の名を桃山晴衣に關する評論で初めて知り、何となく氣になる書き手だと思つてゐただけなのだが、その安田が「わだつみ會」に關はり、しかも戰爭體驗の語り難さに拘つた戰中派であることは今囘初めて知つた。この本で安田の思ひや鬱屈や拘りを知り、それが自分には戰前派や戰後派の考へ方や主張よりも同意しやすいものに感じられたのである。
『きけわだつみのこゑ』については、高田理惠子の『學歷・階級・軍隊』を讀んで以來ずつと氣になつてはゐて、ワイド版岩波文庫版を古本屋で見つけてから架蔵はしてゐたものの讀んでゐなかつたのだが、今度は讀み始めた。まだ五十頁を讀んだだけなのだが、此処にある文章に感涙を催す人々を全く想像出來ないことに驚かされた。ただ單に、全く共感しようがないといふのが實感なのである。それが、「わだつみ會」を廻る歷史を知つてしまつたからなのか、余の屬する世代が「わだつみ世代」と隔絶してしまつたせゐなのか、はたまた自分に固有のことであるのかを今後讀みながらじつくり考へてみたいと思ふ。
ところで今日は、竹橋の近代美術館に行つて「これからの美術館事典」展を觀て來た。美術館で繪を觀るといふ當り前のやうに思つてゐる事柄が、歷史的に見れば如何にごく最近の現象であるか、そして美術館の展示といふ形式に潜む思想や制度、權力構造、さらには實際の裏方の作業までを明るみに出すといふユニークな企畫展で、考へさせられることが多かつた。それはそれで十分面白かつたのだが、其の後に通常の所蔵品展に足を運んで更に衝撃を受けた。四階と三階で戰爭繪畫の小特集が組まれてゐたのである。繪畫的にそれなりの出來映えや魅力を見せる中、藤田嗣治のそれは構圖や色彩からして別格の傑作であつた。學徒兵の手記を廻る世代間の埋まらない溝を讀んだすぐ後だつただけに、かうした繪畫やそれを描いた畫家に對する評価や戰爭責任の追及、或は斷罪といつた問題が自分の頭の中から抜けてゐたこともシヨツクであつた。後でミユージアム・シヨツプに寄つて、戰爭と美術をテーマとする書籍も幾つか出てゐることを知り早速さうしたものの購入を決めるのだが、戰爭繪畫といふものの存在は余にとりて盲点のやうな感じで、無意識にかうしたものの存在を意識から消し去らうとしてゐたのではないかといふ自分への疑ひさへ感じるのである。
一方で古澤岩美といふ畫家による『餓鬼』といふ作品に最も衝撃を受けた。松葉杖をつく、片足のない餓鬼のやうな復員した男が立ち、其の背後には古澤が中國で見聞きしたといふ、日本軍による残虐行為や慰安婦の姿が細かく執拗に描き込まれてゐる。もちろんこれは戰後の一九五二年になつての作品だが、さらに驚いたのは、脇の解説表示によれば、發表當時「氣持ちは分かる、だがこの繪は余りに醜い」といふ評言が寄せられたことである。これはまさに、「わだつみ」に涙した人たちと同じ空氣を吸つてゐた人たちの感想であらう。余は少しも此の繪を醜いとは思はない。一番醜いのは、中國や韓國で日本軍や日本人がして來た横暴や残虐行為を直視せずに、ましてやそれをなかつたことにして反省の色を見せぬ人たちではないのか。非道なことを平氣で爲し得た日本人と、そのことを簡單に忘却してなかつたことに出來る日本人とは、其の根に於いて全く同質と言はねばならぬ。そして、恐らくは、その同じ根を持ちながら普段は「温厚で良い人」たり得る者たちを糾彈することにためらひを感じないではゐない我々自身もまた、同じ根から遠くはないことを今一度思ひ見るべきであらう。
この先自分が考へなくてはならないことの方向が、何となく摑め始めたやうに感じてゐる。まづは大正教養主義の正體を見極めること。其の限界を理解した上で、戰前世代の無恥を暴き、戰中世代の出口のない苦惱に、現代の視点から僅かなりとも風穴を開けたいと思ふのである。かうした問題を考へ續けることによつて、自分は何者かといふより大きな、自分にとつてより根本的な疑問への答へに近づけるのではないかといふ期待もある。無意識に逃げ續けて來た「戰爭」といふものに、竟に正面から向かひ合ふべき時機が來たやうである。