不如胃再發

弥生二十二日(水)陰
此の處ずつと胃が痛み昨日は胃カメラの檢査を受けた。其の際胃の細胞を切り取つて生體檢査に出したらしく結果は二週間後にならないと分からない。今日は會社で嫌な事ばかりあつて、歸宅して酒でも飲まねば居られぬ氣分であつたが家人はならぬと言ふ。酒も飲めぬ身に成り下がつたのである。くさくさとして胃は更に痛む。考へてみると胃が痛み出したのは余が戰時中の統制經濟に就き研究の歩を進めたのと時を同じくしてゐる。戦時下政府と軍部は生産から物資、輸出入や価格や消費、金融までも統制下に置かうとし、様々な法令によつて其の體制を強化して行つたが、今まで余が勤める會社の社史で其の點への斬り込みが全く出來てゐないことに気づかされた。また、自分も精しく知らずにゐた事でもあり勉強を始めたのだが、知れば知るほど政府や軍部の無能さと、其の強権的な政策がもたらした一般企業や國民の混乱を思ふと胃も痛くならうといふものである。「統制」とか「國家總動員」であるとか、「生産力擴充計畫」といつた反吐が出るやうな言葉を常に目にする譯だから余計である。
そして日本は亜米利加に負けた。戰爭も野球も。國力の違ひを無視した無謀な戰であつたのか。
更に會社には、たとへば廣報といふものに對する根本的な物の考へ方に於いて余とは全く相容れぬ者がゐて其の指示に從はねばならぬ。さうで無ければ極めて無禮な物の言ひ方や態度の連中ばかりで全くうんざりである。其の上今日は余が善意でやつてゐる積りの勉強會に誰も集まらぬといふ始末である。此れは若い女性たちの懇願により香りと日本語の勉強をする時間を設けた積りのものだが、結局其れさへも單に阿るだけの社交辭令を余が眞に受けてしまつた結果かも知れず、彼女たちこそいい迷惑であつたのかも知れない。さう言へば先日も彼誰同人にこの話をして、若い子たちは無知だが素直に話を聞いてくれるので樂しいと言つたら、辛辣なH氏から本人が樂しさうに教へてゐるのを詰まらない顔をしては可哀相だから無理してボランテイアで聞いてゐる振りをしてゐるだけじやないのかと言はれたが、其の通りかも知れない。別にこちらから頼んで來て貰つてゐる積りはないので、もう止めにしようと思ふ。前から誰も來なくなつたら止めようと思つてゐたので丁度良い。余は普段善意といふやうなものを持つ事が尠いので、たまに善意でやつた事が裏目に出ると落膽や失望は大きい。そんな事が積もり積もつて胃を痛めたのかも知れぬ。暫く胃腸が快調で安堵してゐたのだが、もともと胃腸は弱く、今度はちよつと駄目かも知れぬといふ氣がしてゐる。もしかすると、與へられた仕事を完遂することは出來ないかも知れないと思ふ。社内手續きの煩雑さや周囲の無理解や惡意にうんざりもしてゐるし、面白いとは思ふが自分の會社の歴史を追ふのに命を磨り減らすのも馬鹿げてゐる。投げ出してしまふかも知れないし、あつさりと胃癌で死んでしまふかも知れない。それもまあ、仕方がないことである。何事も成し遂げられなかつた人生に相応しい終り方であらう。自業自得、此の言葉を以て瞑すのみである。