イボミ

八月二十八日(金)陰
鎌倉で仲間と飲んでゐて、歸らうとして驛に行く。私は吉永小百合が横濱まで行くといふので切符を買つてやらうと仟圓札を切符販賣機に入れるが入らない。既に終電が出た後なのだといふ。已む無く四人でタクシーに乘ることにして乘場に向かふと深夜バスが並んでゐて、とにかく行けるところまでバスで行くことにする。行先はどれも聞いたことのない地名ばかりで少々不安だが、乘つて聞くと厚木の近くだといふ。間もなく發車して眼下に住宅街の擴がる高臺の縁をバスは走る。眠くなつて目をつむるうち柔らかい女の手に触り、そのまま握つてゐると、氣がついたら皆が雑魚寝になつた宿の中である。手を握つてゐたのは若い女性二人連れのひとりで、割と私の好みのタイプであつた。やがて朝となり、家人が心配してゐるだらうと外に出て携帯電話をかけるとすぐに出て、いきなり「〇×鍋はいつ食べるの?」と聞く。折角食事を用意したのに歸らなかつたことや温め直さなくてはならないことに腹を立ててゐるやうなのだが、その言ひ方に私もムツとする。宿に戻ると皆が身支度を始めてゐる。私も荷物をまとめてから納戸のやうな部屋に入ると漫畫がたくさん置いてあるので思はず讀み始める。また、KUWAHARAとロゴの入つたTシャツがハンガーに掛つてゐて、そのデザイナーによるこの宿の主人に世話になつた事への感謝のメツセージが綴られてゐてそれも讀む。それから居間に戻ると小學生くらゐの男の子の兄弟ふたりがゐて韓國語で何かいふ。聞き返すと「イボミ」と答へるので私も「イボミ」と復唱する。そしてお兄ちやんの方に英語で意味を訊ねると「胸」と答へる。すると二階でそれを聞いてゐた母親が「トルソー」と訂正する。なるほどと思ひ下に降りて行くと家人が文机に向かつて書道をしてゐる。詫びるつもりでゐたが、怒つてゐる様子もなく、私はちよつと拍子抜けした氣分である。