同仁斎と櫻谷

十月三十一日(木)陰
午前中京都市内で用談の後午後の訪問が先方の都合で無くなつたので、銀閣寺を訪ねることとす。東求堂公開中なれば余は初めて拝観す。境内修學旅行の生徒や外國人などで賑ふものの、拝観料仟圓が効いてゐるのか、二十分毎の案内附きで東求堂を廻るのは僅か六名。お蔭で静かにゆつくりと見て廻ることが出來た。解説も丁寧で同仁斎や東求堂の背後に再建された会所や庭も見られて仟圓なら安いものである。先日横井清の『東山文化』を讀んで同仁斎は是非見てをきたくなつたといふこともある。蕪村や大雅の襖繪も保存よく、義政時代と景観は異なるものの同仁斎の障子を少し開けて目に入る庭の姿も美しいものであつた。同仁斎の付け書院には『君臺観左右帳記』に則り、硯や硯屏、水注や墨床、筆や筆架、印材や印匣などの文具が置かれ、花も飾られてゐる。所謂「書院飾り」の再現である。硯は義政時代のものといふから驚く。他の文具も時代は不明ながら文人垂涎の格調の高いもので、義政の精神生活を思ひ見る氣がした。但し、香座敷泉殿を始め再建された会所の襖を埋め盡した奥田元宋なる日本畫家の繪は余り良い趣味とは思へなかつた。色彩鮮やかと言へばさうに違ひないが、要するにけばけばしいのである。其の點のみ殘念であつた。





其の後寺域を順路に從ひ歩む。紅葉は色づき始めたばかりなるも、何処も繪になる景色であり、外國人観光客に好まれるのも頷かれる。銀閣寺を後にし次は泉屋博古館に入る。此方も初めての訪館である。木島櫻谷(このしま・おうこく)といふ日本畫家の作品展を開催中で、余はネツトで其の繪を見て興味を持つたのである。円山派の流れらしいが、今まで知らずにゐた畫家である。此の前観た竹内栖鳳の動物畫のやうに細密な寫實も巧いし、琳派に近い装飾性の強い屏風畫も美しい。南畫風も能く熟(こな)し、山水も悪くない。中々好ましい作家である。遅まきながらの新たな発見は嬉しい限りである。まだまだ余の好みに叶ふ未知の日本畫家はあるもののやうだ。図録も購ふ。
又、常設展の中國青銅展も駆け足ではあつたが、興味深く見る。東博でも中国古代青銅器の形状や文様に驚きと興奮を覚えたものだが、今囘も酒を温めたり入れたりする器の姿形に古代の祭礼における酒といふものの力を再認識させられたし、鏡の表面に佛像を線刻した「鏡像」なるものの存在を知り興味をそそられた。神道におけるご神体としての鏡と佛教の佛像崇拝が結びついた必然の形とも思へるからである。
泉屋博古館から南禅寺まで歩き、何有荘といふ稲畑勝太郎の別荘たりし屋敷を訪ねるに、門構へのみ殘りて中は工事中であつた。勝太郎は明治立志傳中の人物で京都染料商の雄であると倶に日佛友好親善に尽くした人。同業の稲畑香料の祖でもある。門の寫眞を撮つてから蹴上より地下鐡で市役所前に戻り、鳩居堂で筆筒を買つてからホテルに立ち寄り荷物を受け取つて歸途に就く。歸宅九時。樂天延長に勝ち越して溜飲を下げる。
永観堂近くの紅葉
何有荘の門構へ。ポール・クローデル始め仏蘭西の文化人も訪れた