金属十日

五月五日(木)晴
ベィビーメタルを知つて十日になる。此の間一日として彼女らの歌と踊りを見ずに過ごしたことはない。そして、ネツトを通じて手に入れることのできる情報の殆どは目にして來た。其の中には彼女らの若い頃のさくら學院なるユニツトでのテレビ番組の録畫や、國内外の電子掲示板に書き込まれた無數の意見や感想が含まれる。そして、知れば知るほど彼女たちを好きになつてゆく。そして多くのフアンと同様、これは只事ではないといふ興奮を抑へることが出來ないでゐるのである。もちろん、少女アイドルとヘビーメタルを融合させるといふ、ミスマツチとギヤツプを利用したアイデア、コンセプトの秀逸さはあるのだが、三人の個性を知れば知る程、このユニツトの登場は奇跡としか思へなくなつて來るのである。スーメタルのずば抜けた美声と歌唱力、普段の可愛いけど少し抜けた感じの普通の女の子感とステージの上での凛々しく美しくカリスマ性に満ちた姿とのギヤツプにまづ痺れる。きりりとした目力が、忘れかけてゐた思春期の「憧れ」といふ言葉を思ひ出させてくれる。とにかく、こんな恰好よくて可愛い女の子が日本に存在してくれるといふことが、誇らしくてならないのだ。それとも關聯するが、多くの中年以上のフアンが感涙にむせぶのは、彼女が世界の大舞臺で堂々としかも声量豊かに日本語の歌を歌って大喝采を浴びてゐるといふ構圖の爲であらう。今まで多くの成功した日本人ミユージシアンが世界に出ようと試み、無理に英語で歌つてみたものの見事に撥ね反されて來た歷史を知るだけに、彼女の歌ひつぷりはナシヨナリズムをも刺激するのである。しかも彼女は禮儀正しく心優しい女の子であり、そのひたむきさと一所懸命さは同じ日本人としてただただ賞賛するより他は無い。單なるアイドル志望の可愛い女の子に過ぎなかつた中元すず香ヘビーメタルといふ音樂と出會ふことによつて、こんなにも恰好よく變身したことには驚くしかない。クイーンと呼ばれるに価する威厳と魅力を備へてゐるし、オフの親しみやすい笑顔とステージ上での凛々しさとのギヤツプに、むしろ神聖なもの、すなはちキツネ様の憑依に似た崇高さを感じてしまふのである。
そして、ゆいもあである。児童の頃からモデルやアイドルとして活躍して來て、同世代のアイドルの中でも抜群の魅力やダンスの實力があつたのは確かだとしても、ゆいもあのままでは數多のロリータアイドルの一部でしかなかつたであらう。しかし、それがユイメタル、モアメタルに成長した時まさにフユージヨンによつて生れ變はつた合金のやうに、由結一無二の存在になつたのである。多くの中年男性の思ひと同じく、ユイメタルのやうな娘がゐたらどんなに幸せだらうと空想する。運動會や學藝會での姿を必死にビデオに収めようとする父親と同様に、ステージで踊る娘の姿を感動の涙を抑へつつレンズ越しに眺める至福。彼女が一生懸命に走つたり跳んだり撥ねたりするだけで涙腺が緩くなるのは、父親であるからとしか解釈しやうがないではないか。彼女が娘であつたなら、余も娘の幸せを願ふ健全な父親になれてゐたかも知れないとつくづく感ずる。一方のモアメタルは娘といふより姪くらゐの距離感がよいのではないかと思ふ。近すぎると、彼女の手練手管に呑み込まれる恐れがある。それほどまでに彼女は女としてプロである。菊地プロとは言ひ得て妙であらう。もあメタルは小學生時代からの映像を見ると、アイドルとしての完璧な立ち居振る舞ひが出來てゐた子で、どんなグループに入つてゐても大成したであらう。しかし、ゆいメタルと對となつてスーメタルとのトライアングルを形成したことで、ベィビーメタルの完璧なバランスが取れた譯だから、彼女が他のユニツトに持つて行かれなかつたことも奇跡のひとつには違ひない。誰かが書いてゐたが、ゆいともあの聲が重なると本當に天使のやうな聲になる。こんな可愛いツインテールの娘と姪がゐたら恐らく余はどんな我儘も許してしまふに違ひない。もあの親しみやすい笑顔の破壊力は、特に外國のフアンに相當なインパクトを與へてゐるやうだ。最初見た時他のふたりに比べてあまり可愛いと思へなかつたのだが、馴染んで來るとその可愛さや魅力がわかるやうになり好きになる。天性のアイドルといふのは彼女のやうな子を言ふのであらう。ゆいメタルの魅力と可愛さについては、もう余の如きがとやかく贅言を費やす必要を認めない程、國内外の老若男女のフアンがあらゆる賞賛をネツト上で述べ盡してゐると言つていい。余は其れ等を讀んで激しく肯くのみである。アイドルと呼ばれる女の子にありがちなわざとらしく作つた表情でないのに、しかもどんな時も可愛く見える奇跡。ベビーフエイスと踊りの巧みさとのギヤツプが作り出す、この感情をうまく表現する言葉が見つからない。ただもう、この先の成長を樂しみにして、その過程が映像として殘されることを祈るばかりである。