悲しい現實

會社での事である。海外の重要顧客の重要人物が數名來日して會社を訪ねるといふので、前代未聞のもてなしをするため普段會議などに使ふ部屋を特別な室禮に誂へた。仮設の和室を設け、野点傘に紅白の幕、白い石を敷き詰めて前後に大ぶりな漫開の櫻を二本置き、照明も暗くして櫻を際立つやうにする。客は野点傘の下縁臺に緋の毛氈を敷いた席や椅子に腰かけて松花堂辨當を食しながら、和室で演奏される筝の音を樂しむといふ趣向である。無機質な會議室が見事に和の空間になつた。二時過ぎに客が歸り、三時から撤収が始まるまでの間、關係のない社員にも公開するといふので行つてみた。なるほど豪華な室禮である。丁度マーケテイングの若い女性で今一番好きなIさんがゐたので、櫻の前や和室でいはゆるツーシヨツトの寫眞を撮つて貰つた。微笑む彼女と一緒にやや緊張した面持ちの余が並ぶ、一生の記念と言つても過言ではない寫眞である。ところが、そこへ營業のNといふ男がやつて來ると、IさんがNに一緒に撮りませうと言つて余に寫眞を撮らせたのである。余が大好きなIさんとの寫眞を望んだやうに、IさんがNとの寫眞を撮りたがつたのは、要するに好きなのであらう。余は寫眞を撮りながら嫉妬の思ひで一杯となつた。

職場に歸つて熟々考へるに、段々と彼女にとつて余の存在は只の職場のオジサンに過ぎない事が理解出來てきた。勿論戀愛關係を望んでゐる譯ではないのだが、最近少し仲良くして貰つてゐた爲に、現實が見えなくなつてゐたのかも知れない。考へれば當り前のことだが、二十代の彼女にとつてはさういふ者として扱ふのが當然なのである。五十七歳の定年間近の萎びたオジサンに特別な感情など抱く筈もない。抱くとすれば、白痴美系の元イケメンのNの方に決まつてゐる。さうだつたのか、図らずも知つてしまつた彼女の好みに、余は心底落胆した。自分の事もあるが、Nの事を余が元々認めてゐないといふか、嫌ひだつたこともあり、此れを以てIさんへの思ひも冷めてしまつたのである。

萎びたオジサンと書きながら、實は本人そんな氣持ちは毛頭なく、まだ行けてゐるのではないかといふ思ひもなくはなかつたのだが、改めて現實を知ることになつた。同年代の連中より若く見られる事もあり、若い娘と戀愛關係や性的關係を持ちたいと思つてゐる譯ではないものの、他のオジサンたちより彼女らと仲良く楽しく出來てゐるのではないかといふ儚い希望もあつたのだが、それも消え失せた。

さうなると、若さを保たうと續けてゐたエステテイツク施術も馬鹿馬鹿しくなつて來た。一應、今後何をするにしても、老けてゐるより若々しい方が良いだらうといふ言ひ譯でして來たが、實はやはり若い女性にもてたいといふ願望や下心あつての事である。折しも今日その予約を入れてゐたのだが、今囘を以て打ち切りとする。もはや皺くちや染みだらけ、弛んだ皮膚の糞爺でかまふものかといふ氣になつたのである。施術の場所は池尻大橋にあり、天気もよく暖かい此の日、櫻見物には最高なのだらうが、余は目黒川沿ひの櫻には一瞥も與へず、蒲田まで歩いた。定期のある蒲田まで、電車賃を浮かす爲12キロを3時間弱掛けて歩いた。もう、破れかぶれである。流石に疲れたが歩けない距離ではない。お遍路の時は毎日是以上の距離を續けて歩いたのだから當然である。余のIさんへの戀心はかうして消滅した。後は老殘の身を晒して惨めに生きて行くだけである。