余の軍歴

六月十四日(木)晴
余の務める会社を戦前の日本に見立て、フレグランスを海軍、フレーバーを陸軍と見ると面白いと思ふ。海軍は日本海海戦における華々しい勝利の記憶から脱し得ぬまま世界の潮流に遅れ、又エリート意識と海外かぶれによつて陸軍や国民から不評を買ひ、さらに国内に於いては政治力の無さと人材の枯渇によつて、圧倒的な軍人数と海千山千の将官を揃へた陸軍の後塵を拝することになつた。軍事と政治の両面に於いて、最早海軍は陸軍の敵ではなくなつたのである。
さうした類似を前提として、余の入社以来の経歴を軍歴に擬へてみたい。まず入隊後幹部候補生として浜松の海軍工廠にて軍艦建造に従事。翌年第一艦隊に配属の後、見習ひ武官として仏蘭西海軍に留学。一年半後其の儘在仏大使館附武官として駐在後、再び第一艦隊に原隊復帰。其処で少佐に昇進し、十年後には在米公使館附将校として派遣さる。三年半後帰国して軍令部第一部第一課作戦・編成担当部署に所属、中佐に昇格。二年後に第二艦隊に転属の後一年足らずして、急遽今度は軍令部第三部情報担当部長と第一部第二課教育・演習担当課長の兼任を拝命。在任中大佐に昇進。然るに二年後上層部権力闘争により粛軍の余波を受け罷免され予備役編入、現在に至る。
ついでながら、香料業界に於ける合成単品部門を空軍ないし航空機と考へると面白いと思ふ。我が海軍は大艦巨砲主義に拘泥した為航空機主体の攻撃体制の確立が遅れ、其の結果最新戦闘機(合成単品)の開発に力を入れた欧米に敗れたるもの也。遅ればせながら、航空自衛隊てふ組織を作りて対抗せんとするも、敵勢力には遠く及ばざること明らか也。剰へ欧米からは航空機燃料(スペシアルテイ・ケミカル)の供給を止められ、飛行機を飛ばすに飛ばせぬ状況である。此の国際的孤立、所謂「ジリ貧」を打破すべく大東亜共栄圏(ワン・アジア?)を唱へて、中国や仏印マレー半島や印度に進出しやうといふのだから、此れでは第二次世界大戦の再現である。予備役として、軍務から離れた我が身としては、さうした流れを変へるべく和平を工作し、併せて内閣打倒を画策すべきであらうか。しかし、東條首相以上に度し難い存在の、内大臣木戸幸一がゐる為に、さうした計画も水泡に帰すであらう。すなはち人事を牛耳り御上に実情を知らしめずに君臨する木戸内府のやうな存在が、どんな会社や組織にも必ず居るのである。其の人間こそ、すべての悪政の癌そのものある。