厚顔無恥

五月三十日(水)晴
昨夜『近衞文麿「黙」して死す』(鳥居民著草思社)読了。推測を重ねた論述であり、歴史学といふより怨恨史観とでも呼ぶべきものを感じはするが、文麿擁護と木戸幸一都留重人糾弾の正しさはかなり共感できるものである。特に木戸の、天皇を輔弼すべき立場でありながら為すべき事を為さずにゐた点は、どう控へ目に見積もつても不作為の罪として到底免じ難い。余も何時の間にか文麿批判的な気持ちを漠然と持つてゐたのは確かであり、此の本にも紹介された木戸の戦後の談話を嘗て読んでゐたことに気づき、さうした文麿観の形成に血眼になつてゐた木戸の真意を知るに及んで、木戸といふ人間に対する反吐を吐きたくなるやうな嫌悪感を覚える。実際木戸の性格の悪さと厚顔無恥ぶりは口を極めて罵るに値する。詳細は省くが、戦後に至つて保身の為に揉み消し工作に躍起になり、挙句に近衞を進駐軍に売つた姿は、今の菅前首相と重なるくらゐ暗澹たる思ひにさせるものがある。木戸に近衞に対する私怨があつたとする鳥居の説は十分に頷けるものであるし、進駐軍に入り込んだ左派知識人を上手に利用した都留の悪どさを思ふと、戦後の知識人のあり方についての根本的な見直しをしなくては、自分自身の立つ位置も定まらないやうな気がしてゐる。今まで余りにも無造作に、戦後を「所与」のものとして深く考へて來なかつた自分の不明を思ひ知る。
余は近衞家が好きなのである。藤原氏に興味が尽きないのである。奇しくも此処数年の間に、近衞家と細川家、そして木戸の家系の主家筋に当たる毛利家の宝物を展示する展覧会に足を運んだ。近衞家の至宝を集めた陽明文庫の品々を京都で、細川家の永青文庫の至宝展を上野で見た。それぞれ素晴らしいものであつたが、木戸や長州憎しの気持ちもあつて、先日行つた毛利家の至宝展は雪舟を除けば大したことはなかつたやうに思ふ。好き嫌ひと言つてしまへばそれきりだが、成り上がり大名の毛利と、五摂家筆頭や佐々木源氏の血を引く肥後細川家では家格が違ふのであらう、趣味もまた家格に準ずるのかも知れぬ。毛利に美などわかつてたまるか。其の毛利の血を引くといふ木戸孝允の妹の孫である幸一の下劣さは要するに長州人の狡さ、悪どさの典型であらう。
近衞家の悲劇は、成り上がりのコムプレツクスを隠し持つた幸一の文麿に対するライバル心が引き起こした部分も少なからずあるやうに思はれる。文麿はアメリカに殺され、文隆はソ連に殺される訳だが、其の文隆の婚儀の仲人を務めたのが木戸幸一である。近衞家の当主であらせられる近衞忠大氏による『近衞家の太平洋戦争』といふ本を今注文してゐる。其の辺の事情のさらなる知見が得られればと期待してゐる。届くのを待つ間に『細川日記』を読み進めやう。言ふまでもなく、文麿の秘書官を務め、其の次男が近衞家を継ぐことになつた細川護貞の戦中日記である。余は近衞、細川、海軍、皇道派に近く、木戸、東條、陸軍、統制派は敵である。
ちなみに近衞忠大氏の母親は三笠宮家から出た元内親王で、かつ母方の叔母のひとりが裏千家家元に嫁ぎ、方や父方の叔母は表千家家元に嫁いでゐる。名家とはかういふのを言ふのであらう。文隆の母親千代子は毛利高範の娘だが、此の毛利は豊後佐伯藩主であり、長州の毛利とは血縁関係はない。しかも高範は肥後宇土藩の細川家からの養子である。