終戦間際

六月二十八日(木)晴後陰後雨
清沢洌『暗黒日記』読了。細川日記に登場する人々も出て來るし、清沢が近衞文麿に会つたことも書いてあつて興味深く読む。ただし、解説で清沢が終戦直前の五月に肺炎で死んだ事を初めて知り、戦後日本の復興にとつてあたら惜しい人を亡くしたものだと思ふ。近衞文隆然り、清沢洌然り、戦後の新日本建設の為に大いに働いて欲しかつた人たちが命を絶たれた事の無念さは計り知れない。何より戦争中の言論抑圧の中で苦々しい思ひを抱きつつ日記を綴り、敗戦後の言論の自由の実現と教育の刷新を志してゐた清沢が、戦後の日本を知らぬといふのは何かとても悲しい気持ちになる。
それにしても、戦中の日本といふ国の軍部、内閣、官吏の無能と一般民衆の無知蒙昧には呆れるより他はない。そして、其の後の歴史を知つてゐる我々の目から見ても、清沢の予測や判断、評価がほぼ正鵠を得てゐることに驚くのである。知識人の一部には清沢と見解を同じくしてゐた者も少なくはないであらうが、当時の軍部や新聞の言説を日記に張り付けて其の狂気じみたレトリツクと用語を伝へ、併せて憤りや批評を書き込んで残した功は大きい。
さうした、当時の新聞の論調や、徳富蘇峰や東條の言論を読んでゐると、我々日本人に今の北朝鮮を嗤ふ権利のない事を痛感する。国際情勢を理解せず独善的な政策と権力への固執で国民を窮地に陥れる軍部や最高権力者、情報を与へられずに為政者の為す嘘八百に惑はされて正気を失ふ国民。無知と狂信が同居する国家戦略、言論弾圧と徹底した情報管理、憲兵特高による恐怖政治だけでなく、敵国に対する糾弾や罵りを事として、被害妄想と自国の実力に対する誇大妄想丸出しのマスコミの論調まで、今の北朝鮮は往時の日本にそつくりなのである。いや、いくら自由を奪はれ飢へに苦しむとは言つても、戦争をしてゐない分だけ今の北朝鮮の方が、軍国主義の日本よりもまだましなのかも知れぬ。北朝鮮を見ること己のほんの少し前の面影を見るが如くにすべきであらう。狂つた人々の国なのではなく、ほんの少し前までの我らが祖国と大して違はぬ状況だと思ふべきなのである。軍部や当時の官僚が戦争下で強引に遣り遂げた政策は、今日の目で見ても共産主義的であり、右翼もメーターを振り切れば左翼と同工異曲になる事のよい例であらう。主体思想、革命を掲げた共産党支配の北朝鮮軍国主義に極めて似る事も故なしとしない訳である。