道子さん

七月六日(金)陰後小雨
『ある歴史の娘』読み進む。実に興味深し。著者による近衞文麿評とでも言ふべき「この人は非常にすぐれた聡明な知性の人だがひとつかぼそい、ひとつひよわいと思はせた。明瞭な知性とある頑なさを持ちながら、終始一貫の不動のものと不退転の剛毅とを彼は持たない」は蓋し的を射たものであらう。彼女の祖父犬養毅と比べれば、剛毅さの欠如は明白である。それにしても、父犬養健と文麿の学習院出身同士らしいいたづらごつこや、木戸幸一一家と犬養健一家の逗子での交流について讀むと、学習院を中楯とした華族や政治家連中の結びつきの強さがよく分かり、戦後の歴史家が史実からのみ組み立てる昭和史が如何に事情の一端をしか見てゐないかが理解出來る。また、五・一五事件の際に犬養毅が叛乱将校たちに言つた事として人口に膾炙してゐる「話せばわかる…」といふ言葉について、著者は祖父毅をよく知る者として長いこと不審に思つてゐたところ、原田日記に其の真相を讀み取つて思はず釈然と膝を叩いたといふ処も面白い。即ちこの言葉は、血気に逸る将校に対話を以て相互理解を図らうといふ意味ではなくて、将校が犬養を国を売つた逆賊であると糾弾した張學良から金を貰つた件に関して、「その話なら、話せば判るからこつちに來い」と言つた発言の一部が曲解されて伝はつたに過ぎぬといふことなのである。今では此の本を讀んだ多くの人が知つてゐることではあらうが、余にしても「話せばわかる」といふ一部のみを、暗殺された首相の最期の言葉といふやうに記憶してゐた訳だから、同じやうに理解して來た人も大多数ではないかと思ふ。さうした、昭和史の真ん中に居た人々の、知られざる一面も勿論面白いのだが、矢張り著者犬養道子といふ一人の人間にも限りない興味と共感を覚えざるを得ないのが、此の本の魅力であらう。そして、その犬養道子といふ人が今尚健在で、正に我々と同時代人として生き、発言されてゐることに感動を覚えるのである。