行政のやること

五月晦日(木)晴後陰
紫陽花の花がすでに色づき始めてゐる。暑くなつて朝は止めたものの、帰路には大船から家まで歩くのを続けてゐる。其の路程の半分を占めるいたち川沿ひの道には割あひに多くの草花や樹木が植ゑられてゐて、通勤散歩者の目を愉しませてくれる。いたち川は護岸こそしてあるが、歩道から川面近くに降りられるやうになつてをり、水辺には雑草や樹木も生ひ繁り、ところどころに桐や柳の木が水面にその影を映してゐる。柳は春になるといち早く若緑を見せてくれるので、余は毎年新緑を心待ちにしてゐる。
ところが、である。或る日それなりに大きく姿形の整つた柳の木が、幹からばつさりと伐られて無惨な姿になつてゐたのである。桐の木もようやく咲き始めた花もろとも酷い姿にされてしまつた。恐らく、川を管理する横浜市栄区の仕業であらう。昨年にも駅前に続く見事な銀杏並木が丸坊主にされ、川沿ひの染井吉野までもが無残に枝を伐り取られ、今年の春は桜の花もめつきり減つてしまつたのである。
枝や葉が余りに歩道に張り出すのは、確かに通行の邪魔にもなるし、川面に近い大木が増水で倒れでもすれば洪水を引き起こしかねないから、或る程度剪枝するのは理解できないことではない。しかし、それにしても枝の伐り方に植物愛護の気持ちが感じられないばかりか、とにかく美的なセンスをまるで働かせてゐないのは驚くばかりである。命じられたまま、雑に乱暴に枝や幹を切断した様は、正に蹂躙、ないし凌辱といふ言葉が相応しい。目にする度痛ましく、また腹立たしく思はれる事此の上ない。行政がやることは萬事が萬事此の調子だから嫌になるのである。いくら植物は強いといつても、来年の早春の柳の新芽を見る頃にも、依然として無惨なままであらう。役人と警察官は何にせよ余の忌み嫌ふものではあるが、それにしても腹立たしいことである。