諂ふ人々

六月十五日(金)晴後陰
本日はN子の誕生日なれば退社後藤沢にて倶に外食を為す。
『細川日記』下巻読了。昭和二十年になつてからの緊迫感は胸に迫るものあり。敗戦前の混迷と危機的状況を読む限り、八月十五日以降に我々の知るやうな推移になりたることは不思議と言ふより他なし。それにしても東久邇宮内閣のお粗末さは目を覆ひたくなる程にて、僻み根性丸出しの太田照彦総理秘書官始め、此処ぞとばかりに取り入つた愚劣な朝日新聞出身の連中が俄かに国政を動かし始めた危ふさは、却つて戦前に勝れり。朝日の二枚舌、反省無き傲岸な態度は今も変らず。憎むべし。と言つても讀賣の主張には到底首肯しかねる事のみなれば、新聞を読まざることが精神衛生上何よりも良きことは明白也。ところで、東久邇宮本人の無能はともかく、何故斯くも卑しき人間を周囲に近づけたるかを熟々思ひみるに、高貴な生れの人々はもともと周囲の追従諂ひに慣れ親しむにより、さうした人間の腹黒さを理解する能はずして、ただ煽てられて好い気になつて用ゐるものならむ。高貴ならずとも、一般企業に於いてさへ、諂ふ人々が上司の覚え目出度く出世を遂ぐるは常のことなれば、ひとり東久邇宮を責むる訳にも行かねど、近衞文麿や細川護貞周辺の言動と比較する時其の低劣さは歎ずべきものあり。勿論、今日の目より見れば文麿にも護貞にも旧弊への固着や認識の過誤はあらうが、それでも誠意と潔癖さは持してゐたやうに思ふ。
今後は戦中の日記(清沢洌『暗黒日記』)をひとつ読み、其の間の政治状況や戦争の経緯について何冊か読んだ上で、東京裁判始め戦後の動向に関する本を読まうと思ふ。そして昭和天皇に関する著作を幾つか読んだ上で改めて近衞文麿に対する余の最終的な評価を為さんと思つてゐる。