本三冊

三月九日(金)雨のち陰
このところ人に薦められた新書を三冊続けて読んだ。まずは白石良夫著『かなづかい入門』(平凡社新書)。かなづかいに関する歴史的変遷や現代仮名遣のそれなりの意義は理解することは出来たが、それにしても著者の喧嘩腰の物言いは解せない。読者がすべて歴史的仮名遣賛美者であるかのようにその根拠の誤りを指摘して止まないのだが、一体この本を手にとる人のどれほどの割合が歴史的仮名遣い擁護派だと思っているのであろう。私自身はこの本を読んだ後でも、自分の好みとして歴史的仮名遣いで書かれた文章はそのまま読みたいし、自分でも場合によって歴史的仮名遣いを使って文章を書くつもりではいる。だからといって、すべての文書を歴史的仮名遣いにしろと言うつもりは毛頭ない。著者の怒りの対象と読み手がずれているのに、始終著者の正論をふりかざした喧嘩腰の口調を読まねばならないというのも苦痛である。不思議な本と言うしかない。歴史的仮名遣い擁護派の論拠が薄弱であることは分かったが、自国語の習得を容易にすることを目的に「規則」を定めるのはどうかと思う。仮名遣いが発音の規則ではなくあくまで表記の規則であることや、字音仮名遣表記の難しさなど、まあ勉強にはなったが、私としては漢字の音読みの表記に対して複雑だから現代仮名遣いのように単純化すればいいとは思わず、そういうものとして覚えて行くしかないと思っている。
二冊目は池内紀著『闘う文豪とナチス・ドイツ』(中公新書)。トーマス・マンは好きな作家でリューベックの生家も見に行ったことがある。とは言え日記の存在も、第二次大戦期および戦後の彼の言動や境遇についても知らなかったので勉強にはなった。ハイデガーとは対照的に、ナチスと最後まで対峙した姿勢は立派だと思う。とは言え、池内紀にしてはあまり鋭く切り込んだとは言えないのではないかと思う。期待していたほど面白くはなかった。ただ、トーマス・マン日記の訳者が森川俊夫であることを知って懐かしい名に出会った気がした。面識はないのだが、私が中学生のとき落ちこぼれになりかけ、一念発起して親に家庭教師をつけてくれることを頼んだ際、親戚が近くに住んでいた森川先生に相談して紹介して貰ったのが当時一橋大生のTさんで、そのお陰で私の学力も人並みになったということがあって、今も森川先生の名を覚えているのである。Tさんは一橋を出た後東大法学部大学院に進み司法試験に受かって判事か検事になっていた筈だが、もう定年になっている頃だ。トーマス・マンや辻邦夫のことなど話してくれたことを覚えている。今から四十年以上昔のことである。
三冊目は山本義隆著『近代日本一五〇年』(岩波新書)。「科学技術」を通して明治以来の近代日本を概観する試みであり、幅広い視野からの考察は説得力がある。産業革命以来の世界の変革をエネルギー革命という軸で捉え、日本の特殊性とその結果である危うさを浮かび上がらせる。明治政府による技術偏重の欧化政策は、「科学」に関するヨーロッパとは異なる認識と誤解をもたらし、科学も技術も国家のために奉仕するものという強固なレールを作り上げた。西洋において産業革命以降に資本主義の勃興をもたらしたのは、科学ではなくむしろ技術であり、多くの場合科学は後からの検証に終始していたというのに、ちょうど科学がそうした検証を終えつつあった時期に西洋と遭遇した日本は、いとも簡単に科学、とくに物理学万能主義になってしまう。また、私も香料産業の歴史を研究することで常々感じていることであるが、日本が西洋と出会ったタイミングの良さということも本書では語られている。すなわち、開国して日本人が驚いた当時の西洋の先端技術というものの多くが、実際には西洋人も手にしたばかりの頃であり、技術習得に乗り出すには絶好のタイミングだったのである。それより早ければ学ぶべきものが少なかっただろうし、遅ければ追いつくのにもっと時間が掛かっていたかも知れないのだ。その一方で、西洋の科学技術を習得しそこに追いつくための国家主導のあり方や、富国強兵ということばが象徴する、拡大や経済成長、科学の進歩を絶対善とするイデオロギーが、ひいては戦時下の総力戦体制への科学者の全面協力という状況をもたらし、そのことの反省がないまま戦後も科学信仰を継続させた結果が福島の原発事故に繋がるとの指摘は、正当であると同時に重い事実であろう。そして、仁科芳雄をはじめとする科学者の戦争責任への無自覚ぶりにはあらためて驚かされた。いずれにせよ、近代日本のカラクリを理解するための視点を新たに得させてくれた好著であり、科学者ないし理系の人々に読んでほしい一冊である。