戦中派のパトス

二月九日(土)陰後雨
渡辺清著『砕かれた神』読了。前々から気になっていた本であるが、『敗北を抱きしめて』の中で言及されているのを見て読みたくなった。アマゾンの古本は高額で諦めかけていたが、先日鎌倉の古本屋で運よく安いのを見つけて買って読んだものである。敗戦で故郷に戻った二十歳の海軍兵の昭和20年9月から翌年4月までの日記の体裁をとった手記である。私は基本的に戦中派というか、十代で戦争に行ってそのまま敗戦を迎えた世代の心情に近しいものを感じるタチのようで、彼らのやり場のない怒りや虚脱感やニヒリズムといったものに、ほとんど自分のことのように共感を覚える。世間知らずでまっすぐであればあるほど、敗戦の衝撃や戦後の社会と人心の激変に耐えられず、無気力で怒りっぽくなり、何ものも信じられなくなることが痛いほど理解できるのである。自分のもともとの、拗ねて意固地でひねくれた性格に通ずるものがあるような気がしている。
志願兵として海軍に入り乗艦した戦艦武蔵が敵の攻撃で沈没した際奇跡的に助かり、二十歳で敗戦を迎えた渡辺清は敗戦の後無気力な日々を過ごしていたが、天皇が何らかの形で責任をとるだろうとは考えていた。退位であれ国民への謝罪であれ、何らかの責任の表明があるか、あるいは敵の手にかかる辱めを避けるため自決することもあり得ると思っていた。ところが進駐軍天皇制温存の意向であると見るや、天皇がしきりにすり寄って保身を図るようになって、渡辺は失望とともに怒りを募らせていく。特に天皇マッカーサーが並んで撮られた写真の出た九月末には、屈辱と怒り恥ずかしさに心底天皇に失望している。
天皇のことばを信じきって天皇に命を捧げるために志願兵となった渡辺は、旧軍人や政治家、マスコミ、教育者たちの変節ぶりに驚き、怒り、自分がすっかり騙されていたことに絶望する。もちろん士官や軍上層部の腐りきった精神や不合理さは敗戦の前から身に染みて知らされてはいたものの、国のため天皇のためと思えばこそ理不尽な上官の暴力にも耐えて鬼畜米英と戦ってきた。それなのに、小学校に上がって以来軍に入っても叩き込まれてきた臣民としての赤心や忠心、あるいは軍人魂のひとかけらも感じさせない戦後の軍上層部の体たらくには、憤怒を覚えるしかないではないか。こんな人間たちと、あんな無責任な天皇のために自分は戦い、戦友たちが死んで行ったとは…。
日記には、当時の社会で起こる様々な事件や首都東京の動きに関する報道や伝聞を経糸に、渡辺の故郷の農村で起こる出来事を緯糸にして、無気力で何ものも信じられず如何なる希望も持ちえない渡辺の心情が綴られて行く。天皇関係では昭和21年1月のいわゆる「人間宣言」の詔書が出るが、渡辺はこれを戦争の責任を全くとろうとせずに天皇の地位に留まるための「とんでもない居直り宣言」とし、そこに一言も国民への謝罪がないことを痛烈に批判するとともに、天皇に対する如何なる期待も持ちえぬことを悟る。一方で天皇に対する感謝や崇敬の念を新聞に投書する国民に絶望し、その果てに天皇を無批判に信じてきた自分自身にさえ怒りの矛先を向けて行く。
復員兵と罵られてヤクザと喧嘩になって袋叩きにあったり、米兵と喧嘩になったりもする。アメリカ製のもの一切を拒否し、家族が手に入れたラッキーストライクに指一本触れず、戦争を賛美していた有力者が手のひらを返して民主主義を褒め称える馬鹿らしさに反吐の出る思いをする。この辺りの一徹で極端なところは自分にも通ずるところがあって、苦々しい思いとともに共感を覚える。
一方で部落の仲間で特攻くずれの邦夫は絵にかいたような虚無主義の復員兵だ。女と酒にうつつを抜かし、世間を鼻から白眼視して好き勝手に生きることで何とか自分の精神のバランスをとっている。その邦夫の「お礼参り」の話は痛快だ。軍隊時代に理不尽にいじめたり理由もなく殴ったりした上官の連中のうちを一軒一軒回って「あのときのお礼だといって、片っぱしから気のすむまで殴り倒してきた」のだという。とは言え、そうしたところで気分はすっきりしなかったという。軍隊時代の嫌な記憶というのはこうまで人間を不幸にするものらしい。
また、よくある話だが、村の辰平という男が戦死したとの通知があって、残された妻が周りのすすめで戦死した夫の弟と結婚することになり、その弟の子を宿したところに当の辰平が戻って来て大騒ぎになるというのも、誰も幸せにならない、戦後のやりきれない出来事のひとつではあるだろう。他にも扇動にのって満蒙開拓義勇団に参加した仲間の誠一は結核にかかって死にかけている。これら、戦後の映画や小説で見たことがあるのだろう、どこか既視感のある出来事の数々も、私のような戦中派と心情をともにする人間には心臓に刺さった棘のように痛みを感じさせるものなのだ。
最後に渡辺は自分と天皇との関係を完全に断ち切るために、軍隊時代に天皇の名において支給された給与などの全額や、天皇からの借り物として貸与された物品の費用全額を計算してその総額を為替にして手紙とともに天皇に送った。そして、これでアナタに借りはないと天皇に言い放ったのである。
民主主義が至上のものとは思わないが、少なくとも天皇のいる民主主義のようなまやかしの制度を70年以上続けて来たこの日本に反吐の出る思いである。アメリカの自国のための政策と、昭和天皇と、妖怪死霊のように戦後も生き延びた保守派政治家の合作である「戦後日本」というインチキ品にうかうかと騙されてきた日本人にも絶望する。私は今、戦中派と同じくらい、日本に絶望しているのである。