もうひとつの近代

三月十二日(月)晴
鈴木博之『都市へ』読了。シリーズ日本の近代が中公文庫に入ったもので、もとは1999年の刊行だから20世紀後半の記述は今からすると多少ずれている感じはある。とは言え、先日読んだ山本の本が科学技術を軸にした日本近代概観であるとすれば、こちらは都市と建築を軸にした近代日本の振り返りといった趣で、土地所有者やその形態と都市開発の関連との考察などなかなか面白かった。特に自分の知りたかった幕末から明治初期の幕臣や大名屋敷の移り変わりに関しては得るところが大きかったように思う。シリーズの趣旨に基づくのか、この人特有のゲニウス・ロキを巡る論考が少なめであったのは残念。震災復興までの日本の都市計画はそれなりに評価できるが、戦時統制体制や戦後は「建築」はあってももはや「都市計画」はなく、あるのは土地の経済利用に過ぎなくなることがよく分かった。そして、文庫版あとがきに至って、山本の『近代日本一五〇年』と同じく、近代日本のあらゆる進歩や成長も、結局は福島の原発事故によってすべて帳消しどころかマイナスになる可能性の危惧を共有することとなり、このことの重要性を認識しようともしない国民と、それをいいことに勝手し放題の政府にあらためて失望と絶望を感じる。
話は変わるが、メジャー時代の上原はわりと好きで応援していたのだが、結局読売軍に戻ることになったのも失望を越えて怒り心頭である。青木やイチローの古巣復帰は諸手を挙げて歓迎だが、巨人に戻るとは見下げ果てた雑草派もあったものである。