すずさんふたたび

  映画『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』を観る。3時間近い長編であり、前作『この世界の片隅に』で描き切れなかった原作の部分を加えて丁寧に作り直した作品と言えるだろう。もう少し、りんさんとすずの関係を中心にしたスピンオフ的なものになるのかと思っていたが、要するに前作で省略せざるを得なかった部分を足しただけということである。広島や江波や呉に足を運んで舞台となった土地を訪ねていたので、懐かしさはあったが、ちょっと肩透かしを食らった感は否めない。漫画で何度も読んでいるからディテールも頭に入っており、その分画面の細かいところに目が行く楽しさはあり、またアニメーション画面の美しさと、相変わらずのすずにぴったりののんの声には感動する。しかし、長くなった分散漫になったところもあるように思えた。前作では、米軍の爆弾の時限爆発により右手を失ってもはや大好きな絵を描けなくなったすずさんの悲しみ、そしてそれさえも小さなことに思える姪の晴美ちゃんの死という苦しいまでの悲しさが、かなり痛切に心に響いた覚えがあるのだが、今回はそれがだいぶ薄まった感がある。二度目だから成行を知っているというせいもあるだろうが、それを引いても印象が弱まった感じがするのである。

 前作を観た後で原作のマンガを読んだ人なら誰しも、りんさんとすずさんのエピソードがあまり描き込まれていないと気づいただろう。今回の予告編などから、その辺がしっかりと取り上げられているのは明らかだったので、いわば原作を超えてのストーリーや伏線、新たなエピソードなどを期待していたのだが、その期待は見事に裏切られた。一本の映画として観れば良い作品だと思うし、十分楽しめはしたのだが、もう少し逸脱というかひねりというか、前作や原作にないところを観たかったという思いはあり、その点残念であった。

 それにしても、敗戦で職を失った周作一家の戦後は、この先どんなものになるのだろうか。どんな新たな苦難が待ち受けているのだろうか。それとも、逞しく復興していくのだろうか。拾ってきた孤児を北條家では育てるのだろうか。右手を失ったすずさんの戦後、たとえば昭和30年、40年の姿を想像するだけで泣けてくる。すずさんの妹すみや原爆投下の後に広島に出掛けた周作の叔父の原爆症も心配である。

 考えてみると、敗戦によって職と「それまでの正義」を失うことになる職業軍人や軍属というのは、要するに幕府が瓦解した後の旗本御家人に似たようなものなのだと思い至った。この先どう食べて行くのか途方に暮れながら毎日を生きていたに違いないからだ。多くの軍属を抱えていた呉は失業者であぶれ、しかも復員兵も帰って来る。空襲で焼け野原となった呉の街で、軍需から民需へと転換する中で、『仁義なき戦い』が始まるわけだ。もっともそれも、軍・官の「悪」から民の「悪」へと移っただけなのかも知れない。『仁義なき…』の、復興なってヤクザの抗争の激化する呉の街の中に、おばさんになった手のないすずさんが通りかかることを想像しただけで、悲しさと絶望感に圧倒されるような気がする。