酒場と小津の赤

二月十七日(土)
まずは昨日フィルムセンターで観た『たそがれ酒場』から。内田吐夢監督で1955年の作品。戦前戦後のことを知れば知るほど、その頃のことをもっと知りたくて当時の映画を見たくなる。戦後十年、すでに占領は終わり、朝鮮戦争の特需も終わった時期である。酒場の一夜をグランドホテル形式で描いた作品で、時代の雰囲気を感じられればいいと思ってフィルムセンターに足を運ぶと、爺さん婆さんを中心に思いのほか客は多く9割方の入りである。映画の方も期待以上に面白く、特に小杉勇演じるところの老画伯「梅田先生」がいい味を出していた。戦後十年を経てだいぶ世間は落ち着いて来たとは言え、酒場に集う人々は世代により、境遇によって経験や体験が劇的に違う。戦争中の上官と曹長が北支時代を懐かしがるかと思えば、大学教授と学生たちが青春の歌を高らかに謳歌し、労働者がそれを応援し、一方ではサルトル弁証法的を論議する若者グループがいたりする。梅田先生は戦時中に南方の戦場をともに回った新聞記者とたまたま再会して筆を折ったいきさつを語る。戦意高揚のための戦争画をその時は国のためにと思って一生懸命やったが、自分がしたことが結局人を不幸にしたのではないかと戦後になって思い始め、血塗られた絵筆を捨てる気になったのだという。今は出世して論説委員か何かになって紳士風の元記者と先生のやりとりは、戦前に成人として否応なく時代と関わって来た世代の戦後の苦悩の一端を語る。戦争を引き摺った世代とは対照的に、酒場で働く若い娘たちは屈託がなく明るいが、それでも家族の生活苦や戦死した父や兄弟の記憶を引き摺っている。訳ありのストリップダンサーと歌い手の若い男性の間にある姉と弟のようなやりとりも、何だか日本人が失ってしまった優しさと思いやりのような気がする。チンケな酒場のマネージャーが実際には人情にも篤い真面目な男だったり、戦中派的なニヒルな二人の男に惚れられた若い店員の女が、一人の男と駆け落ちをしようとしながら結局戻ってきたりと、いろいろある中で、一番のクライマックスはピアニストのかつての弟子で、妻を奪って逃げた男が出世して楽団のリーダーとして酒場で歌っていた若い歌い手をスカウトするところだ。これをチャンスとして入団を希望する歌い手とそれを支持するダンサーが、頑なに反対するピアニストと対立し、最後に店じまいした後に梅田先生が年寄りは若い人たちの未来の肥やしになるべきだと、歌い手の師である酒場専属のピアニスト、かつての音楽界のスターに語る梅田先生の語り口は、様々な人生の様々な悲しみと苦難が交錯する酒場にあって重く、かつ優しい。ピアニストは駆け落ちした妻を刺して殺し、懲役となってスターから転落して今の体たらくになったのだ。そのことを知っていてなお、梅田は歌い手の将来を考えてやるべきだと諭す。ピアニストは最後に弟子の門出を静かに許し、梅田先生に最後に聴いてもらうよう弟子に歌わせる。明日の朝妻を奪った男の楽団に入ってすぐさま巡業に出るから、梅田先生ともしばらくは会えなくなるからだ。時代背景や当時の各世代の体験や受けた教育の違いなど、あれこれ考えさせる面白い映画だった。
そして今日は小津安二郎の『浮草』のカラーを復元したものをやはり京橋のフィルムセンターで観た。これはオリジナルネガのデジタル化に際して、もとのネガであるアグファカラーの発色特性の特異性を高精度で再現して、撮られた当時の色調を取り戻そうとしたもの。その手法のデモと、映画の後に研究員による説明もあって、アグファの発色がまさに小津好みであり、アグファの色特性に合わせていかに小津が画面上に巧みに諸色を配置したかがわかって実に興味深かった。要するに「小津の赤」と言われるように赤を鮮やかに画面に置く一方で、緑と青は彩度が低く青空などほとんど白黒映画の空になってしまうのは小津の好みだったのである。映画の方はすでに観たことのあるものではあったが、ディテールは当然のことながら全部覚えていないので面白く見た。色は確かに鮮明だし、音もクリアだった気がする。鴈治郎の飄々として可笑しみがあり、愛嬌のある演技はいつ見ても楽しいし、杉村春子の一挙手一投足に何とも言えぬ味を感じる。そして若尾文子の美しさ。いろいろ見て来たが、日本の女優の中で妖しい魅力という意味ではナンバーワンではないかと思う。
それにしても、2月5日に見た夢で、自分がアグファだと言われたのはこのことだったのかと今にして思う。もちろんその時にこの復元のことを知っていた訳ではない。と言うより、たまたま知人から渡されたフィルムセンターの今回の催しのチラシに「小津のアグファカラー」の文字を見つけた時、これは見るしかないと思ったのである。いずれにせよ、この後しばらく映画三昧は続きそうである。