たたかう映画

二月十六日(金)
亀井文夫著『たたかう映画』読了。「日本の悲劇」の後、「上海」と「戰ふ兵隊」を観た。その話をしたら友人が岩波新書の亀井のこの本を貸してくれ、読み始めたら面白くて一気に読み終えた。見たばかりの三本の映画の背景や作者の意図が知れて興味深かったということもあるが、亀井文夫という人間が面白い。ゴリゴリの「主義者」という訳ではなく、何となく映画の世界に入ったものの、映画を撮る以上自分が撮りたい、伝えたいことを素直に追い求めて来た人なのである。人間の真実の姿を伝えようとすれば、その不幸や悲哀の背後にある社会の矛盾や不正に目が行き、それを効果的な形でドキュメンタリーとして仕上げることに一生懸命だっただけなのである。だから戦争や兵隊を描いても嘘や依頼者の期待を描かず、自分の感じたところを上手く撮ってしまうから、帝国陸軍からもGHQからもにらまれる結果となったのであろう。農村の苦衷を描き、戦後は砂川闘争をはじめとして被爆者や被差別部落を扱いはするものの、何々主義で硬直するのでなく、自分の素直な感じ方とそれなりのバランス感覚をもって飄々と映画を作り上げて行く様は、シネアストとしての魅力を感じさせる。労働争議や差別問題へのスタンスは、少し前に読み終えた『夢を食いつづけた男』で描かれた植木等の父親徹誠の生き方にも通ずるところがあって大いに共感する。そして、私は亀井によってドキュメンタリーというものに強い関心を持つに至った。その亀井が核時代と人口過剰による食糧問題の中で生命や生物の危機へと力点を移し、最終的には文明批判に近いところにまで行ってしまうことの重さを我々は噛みしめるべきだろう。それにしても亀井の作品は戦記ものをのぞくと全くDVD化されていないことを、今アマゾンで検索して知って驚く。戦後の作品をもっと見てみたいが、上映される機会はほとんどないのだろうか。
ちなみに「日本の悲劇」をもう一度見直したら、軍服姿の昭和天皇が猫背で平服の「平和主義者」に変貌していくオーバーラップは最初の時見落としていただけで確かにあった。ちょうど「戦争責任があるのに戦後にわかに平和や民主主義の使徒であるかのように振る舞う者も少なくない」というようなナレーションが重なるので効果は抜群である。