苦い再会

二月十五日(木)晴
夕飯を食べた後街をほっつき歩いた。食事が足りなかったのか惣菜屋がやたらと目に入る。それにしても惣菜屋の多い街である。えびの天ぷらが並んでいて安いので買って食べようかとも思ったが、胸やけするに決まっているのでやめた。家に戻るとМ先輩の広い家で、介護されているМ先輩の御母堂がわりと元気そうに歩き回っている。御母堂は冤罪により起訴されていたのだが、冤罪であることが認められてその間の経緯を本にした女性ライターが今日も来ている。私があの本の売れ行きはどうですかと聞くとあまり売れていないらしい。他にも冤罪事件を告発する本を出しているが、いずれも売れ行きは悪いらしく、このままでは冤罪で罪人にされた人たちの支援も出来なくなりそうだという。そうする間に私は眠ってしまったらしく、目を覚まして天井に見たことのない電灯がついていたので驚いて人の家で寝込んでしまったことに気づき、やはり隣に寝ていた妻を起こして家に帰ることにする。真っ暗な道をふたりで歩いて行くと、先に奇矯な格好をした女が歩いていて、妻があの人なんか怖いという。妻がそういうのを感じ取れるのを知っていたので近づかないようにすると、女は左に曲がったので我々は右で事なきを得た。やっと家に戻ると、念のためドアのカギを二カ所閉めて、梯子段のような階段を下して二階に昇ると見知らぬ外人の女が三四人いる。聞けば留守を頼んだ武井が勝手に住まわせたらしい。すでに十一時を過ぎていたが、私は出て行くように言う。その際勝手に国際電話をしていた可能性があるので電話代も徴収するというと、そんな話は聞いたことがないと言う。それでも後から請求することにして、私は武井に明日朝一に勤め先である日立支社に怒りの電話を入れようと思う。やっと女たちが立ち去ったと思ったら、今度は三階から若い女が降りて来た。調香師になりたくて出てきたという。部屋にはグラースで知り合った香料学校の校長をしているマセ氏が居たので一緒に事情を聞くと、彼女はブルドンの知合いでブルドンも二階に来ているという。そこでマセ氏とともに上にあがると人がたくさんいて、ブルドンはチェスをしている。やがてマセ氏とドミニックがブルドンに挨拶に行くと、親しげに抱擁し、特にドミニックとは久しぶりらしく懐かしげな笑顔を見せる。その後に私が行くと愛想よく迎えてくれるが、よく見るとそれは元同僚のフィリップであった。改めてブルドンのところに行き、私は「モン・メートル」と声をかけるが実に素っ気なく見知らぬ人に初めて会ったような挨拶をするのみである。私が「覚えていませんか」とフランス語で聞くと、ノンと答え、「中村君なら覚えているが、お前は知らない」と言う。私は彼が私の勤める会社を辞める際のゴタゴタから、今も会社の人間に対して気分を害していることを知り、30年ぶりの再会なのに不愉快な思いをしたことが残念でもあり腹立たしくもあった。私はマセ氏にフランス語で、あんな態度は信じられない、大人げない態度にがっかりしたと言うと、マセ氏もその通りだと、ブルドンの態度に驚いた様子だったので、ほんの少し気が楽になった。