嫌な連中

 浅見雅男の『闘う皇族 ある宮家の三代』を読んでいる。駄場の本で「天皇家vs伏見宮家」の構図を知り、先の浅見の本で「伏見宮系の皇族」についての知識を得た上で、こんどはその伏見宮系の中で最も問題の多い久邇宮家を主題に据えた本書に行きついたというわけである。久邇宮家とは、私が伏見宮系の中で一番興味があると書いた朝彦親王に始まる宮家である。朝彦の子が邦彦王で、その娘が昭和天皇の皇后となる良子(ながこ)である。その良子と裕仁との婚約問題で揺れたのが宮中某重大事件である。要するに良子の血に島津家から入った色盲の遺伝子があることを問題視した山県有朋らが婚約解消を画策し、それに反対する勢力と紛糾を繰り広げた末に予定通り成婚となるという事件だが、浅見は以上のような今まで世間一般に知られてきた要約では収まり切らない事実を明らかにする。一般には、山県に対し杉浦重剛が動き、頭山満らも介入した結果内定通りとなったというようなことが通説とされるが、それ以上に邦彦王の数々の驚くべき非常識言動が、大正天皇の妃である貞明皇后を怒らせたという側面が大きかったことがこの書では明らかにされる。前にも言った通り、伏見宮系が天皇家にとってのトラブルメーカーであることの良い例である。

 客観的に見れば、天皇家の血筋に色盲の遺伝を入れたくないというのは、当時の状況とすれば十分に理解できることだと思う。ただ、それを主導した山県がとにかく嫌いであるし、その山県に反して動いた杉浦らの国粋主義グループも気に食わない。しかし、この騒動の中で動いた連中の中でとびきり嫌いなのは平田東助である。平田東助といっても今の人は知らないかも知れないが、米沢藩藩医の家に生まれながら長州閥山県有朋の側近、というより子分となり、政界を上手に渡り歩いた政治家である。最後には準元老というべき地位にまで登りつめたという。しかし、明治の神社合祀に積極的に関わるなど、私にとってきわめて印象が悪い。同じ米沢藩出身の宮島誠一郎とくらべると、人格が下の下ではないかと思っていたが、それを裏付けるような言動をこの宮中某重大事件でもとっていたのである。すなわち、山県派としてこの問題に対し山県の意に背くわけにもいかずに当初曖昧な態度をとっていたにもかかわらず、形勢が久邇宮家や杉浦側に傾いたと見るや俄かに態度を変えたのである。唾棄すべき変節野郎である。

 いずれにせよ、この事件は出てくる人間たちすべてが嫌ったらしい連中ばかりで、ことの成り行きも、両派が依拠する倫理感や価値観も私にはともに到底耐え難いものである。この事件が起こったのが1920年という、私が百年史を書いた会社の創立と同じ年で、当時の政治・経済・社会の状況を調べてそれなりに知っているから、その思いは余計に強いのである。