困った血筋

 『闘う皇族』読了。前回取り上げた宮中某重大事件の後は、「朝融王事件」を追い、その両事件の大元である朝彦親王を振り返る内容である。朝融王事件というのは、宮中某重大事件の当事者で、何とか娘を皇太子裕仁正室に据えることに成功した久邇宮邦彦王が、今度はその子である朝融王の婚約を解消させるために暗躍するという出來事の顛末である。もちろん朝融王本人の希望でもあったのだが、色盲という問題すらない旧姫路藩主家の酒井忠邦の娘菊子との婚約を解消させるため邦彦が身勝手な理由をつけ非常識な振る舞いを続け、宮内庁の役人や政府関係者が呆れる中で粘りに粘って断行してしまう。その過程での言動やその後の朝融王の行状は、ここで詳しく書く気にもなれないが、とにかく驚き呆れ返ることばかりでなのである。

 二つの事件を考察した後、翻って邦彦の父朝彦のことに触れるのだが、こちらは前に読んだ『もうひとつの天皇家』でも詳しく書かれていたのでさほど驚きはない。8月18日の政変で朝彦が果たした役割や奈良奉行川路聖謨が残した日記に見られるふたりの交流はそれなりに興味深いが、やはりトータルで見れば明治政府にとって朝彦がとんだ厄介者でしかなかったことがよくわかる。要するに、明治以降の皇室は、伏見宮系、特に久邇宮家三代に振り回され続けて来たのである。昨今、皇位継承を確実にするため旧宮家の皇族復帰を検討させようとする動きがあるが、それに対し著者の浅見雅男は久邇宮家のこうした事例から危惧を表明している。まったく同感である。近代史を知らぬ維新の志士気取りの短絡思考者の発想で同じ轍を踏むことは避けなくてはなるまい。特に旧伏見宮系は絶対に皇族に戻してはならないと思う。

 そう言えば、わたしの働く会社にも久邇宮朝彦王の子から出て臣籍降下して伯爵家となった家の出身者がいた。その人の祖父が今上上皇の叔父に当たるせいか、多少なりとも今の天皇の風貌に似た高貴さを感じさせる人ではあった。小柄な真面目な人で、労働組合の幹部として活躍していたが、自らの家系のそうした来歴を知ってか知らずか、久邇宮家の負の歴史や罪を一身に背負って贖罪を担うキリストのような雰囲気があった。生涯独身で定年後は敢えて会社関係者との連絡を絶ったとも聞く。一度だけ、退職前にふたりで飲んだことがある。今のような知識があるわけではなかったが、旧皇族の家に育った人にいろいろ話を聞きたかったのである。京都時代の話をいくつか聞いただけで、後ははぐらかされたのか口を噤んでいたせいか、何を話してくれたのかほとんど何も覚えていない。ただ、老いとか孤独とか貧しさなどから来る一般人の悲しみや苦しみとは違う種類の、同情を寄せつけない厳とした淋しさのようなものをその温和な眼差しの中に感じて、何とも言えぬ複雑な思いをしたことだけはよく覚えている。そして、少なくとも、この人は皇族に戻してほしいと望むことは絶対にないだろうし、そうした家に生まれたことの負の面しか感じることのない人生だったのだろうという気がしたのである。