八幡神と神仏習合

十一月二十二日(月)陰後雨
十七歳の時、関西から夜行急行で九州に入り、朝早く宇佐の駅に降り立つた。駅名板にローマ字で「USA」とあるのが面白く、帰つたら友達にUSAに行つて来たと自慢しやうと思つてゐた。歩いて宇佐神宮に向ふ。朝靄の中鬱蒼たる木々の間を玉砂利を踏んで歩いてゆくと、途中で朱色の袴を着けた若い巫女さんとすれ違つた。何か清清しく、神の居る場所はやはり神々しいといふやうな感動に似た思ひを感じたのを覚えてゐる。其の後、伊勢神宮や熊野、霧島といつた神寂びた神社神域で似た感覚を覚えるやうになるが、其の始まりの体験であつた。ただ、当時は八幡神については何も知らず、道鏡の神託事件で有名な古い神社くらゐの認識しかなかつた。其れから三十一年後、昨年の早春に石清水八幡に詣でた。藤原道長の『御堂関白記』や定家の『明月記』に度々記載があり、興味を持つたのである。其の時には宇佐八幡と石清水の浅からぬ関係については知つてゐたが、八幡神そのものについて詳しく知つてゐた訳ではなかつた。其の後神仏習合の本を何冊か読む中で八幡神なるものへの関心は高まつた。そこで読んだのが逵日出典著『八幡神神仏習合』(講談社現代新書)である。面白い本であつた。今自分の興味のあること知りたいことにぴたりと一致する内容で大変勉強になつた。神仏習合の様相がだいぶ理解できたやうに思ふ。九州の地に突如現れた八幡神は其の来歴からして既に道教や仏教の影響の色濃い習合的な神であり其の後の神仏習合をリードすると共に、皇祖神や国つ神とは異なる仏教との関わりを示す。石清水八幡は宇佐の八幡菩薩神を勧請したものであり、昨日行つた鎌倉の鶴岡八幡宮は更に其の石清水八幡からの勧請である。全国にゴマンとある(実際に四万社あるといふ)八幡社は、此の三つの八幡宮のいずれかの勧請であるらしい。八幡について知れば知る程、神仏習合や日本人の宗教心の面白さを感じる一方で、廃仏毀釈によつて失はれたものの大きさに改めて嘆息を漏らさざるを得ない。と同時に、三十余年の歳月の後、再び宇佐の土地を踏みたくなつて来た。神と仏を巡るわたしの旅は当分続きさうである。