鎌倉の日蓮

十一月二十一日(日)陰時々晴時々雨
暖かき秋の好日となる事を知り鎌倉散策に出づ。横須賀線及び北鎌倉駅周辺は正月の如き人出にて驚く。北鎌倉より円覚寺前を通り鎌倉街道に出て、狭い歩道を緩緩と歩む観光客を追越し、長寿寺横から亀ヶ谷切通しを抜けて扇ヶ谷に出る。所謂鎌倉七口のひとつで、突如喧騒を離れて往古の往来を憶はしめる雰囲気なり。扇ヶ谷側に出るとすぐに田中智学師子王文庫址の石碑を見る。日蓮宗から国家主義に転じた宗教家にて国柱会を創設したる田中の旧居の此の地にあることはもとより知らざれば、偶然に驚く。何故とならば此の日訪ぬるつもりの寺や旧蹟は日蓮関係のものが多ければなり。まず日蓮宗薬王寺を訪ね、横須賀線の下を潜つて海蔵寺まで足を伸ばし、再び戻つて英勝寺に初めて入る。三百円を入口の箱に納めるのだが境内は荒れるに任せ、山門の修復工事中とは言へ、余り寺院経営に熱心とは言へぬ尼寺のやうである。ただ、其のやや荒んだ庭の木々や樹花竹林の様に他のよく整備された寺とは異なる趣もあり、人の少ない山内の逍遥を愉しむ事を得る。


【英勝寺の庭の色彩遠近法】

其の後駅方面に歩き、名刀正宗の子孫といふ刀鍛冶屋の店のある通りから駅前、御成通りと進んで大町に入り妙本寺に往く。日蓮宗の寺にて寺域思ひの他広く本堂も巨大なり。比企一族の墓など見た後道を戻つた正面にある本覚寺に詣づ。此方も日蓮宗にて日蓮の遺骨を分骨して祀りたれば「東身延」の別名ありと云ふ。其の儘小町大路を暫く行くと日蓮上人辻説法址の旧蹟あり。野田九浦や下村観山の辻説法の絵は教科書等で誰しも目にしたことがあらう。余は日蓮そのものに余り興味はないが、日蓮の思想や其の法華経解釈が近代の右翼思想家・軍人に及ぼした影響や、京都の町衆と法華の関係など、日本の歴史や思想史を考へる上で重要なものであることは間違ひない。此れを機に日蓮関連の書にも親しむつもりである。

此の後若宮大路に出て鶴岡八幡宮に往き、鎌倉国宝館にて「薬師如来十二神将」展を観る。是ほど十二神将を一同に観たのは初めてにて、さながら「神将フイギユア展示会」の如き壮観なり。小振りの神将像の武器や衣裳、ポーズの違ひの面白みはまさにフイギユア集めの趣味に通ずるものあり。国宝館を後にし寒くなる前に早々に帰宅す。