絵で見る香り

十月二十八日(金)晴
三時過ぎ会社を出で上野に向かふ。東海道線内爆睡。上野公園口より徒歩東博に往き、平成館で呉昌碩の書画を見る。画や行書も確かに良いが、今回は篆書の般若心経に圧倒された。篆書とは古代中国人の世界認識が視覚化されたやうなものだから、天と人との交感を基軸とした呪術的な世界がところどころに生々しく剥き出しになるため、仏典であるはずの般若心経が完全に中国化してしまつてゐる。中国人が心経を誦むとき脳内にかうした漢字が立ち上がつてゐるとしたら、日本人が読み取るものとはまるで異なる思想になるのではないか。と言ふより、このやうに中国語に訳された経典を仏教として理解して来た日本人の仏教観では、仏陀の教へそのものに辿り着くことは不可能なのではないかといふ気がしてくる。書として壮観であるとともに、文字と思想・観念の関係を考へさせられる作品であつた。
其れから本館に移動し、まず二階の中国書画精華を見る。李迪の国宝「芙蓉図」は余が高校生の頃初めて東博に来た時等伯の松林図とともに最も感銘を受けた画で、確か其の時色紙を買つた筈である。実に数十年ぶりの本物との対面である。花の清楚な色彩の移ろひが素晴らしい。董其昌の書も面白く見る。さらに国宝室で円珍関係文書を見てから三室では雪舟の四季山水図のうち秋冬を見る。他に鑑賞する者もなくソフアに座つてじつくり眺める。何といふ贅沢であらうか。さらに進むと今度は応挙の秋冬山水図屏風がある。素晴らしいの一語。秋の風情、冬の雪景。応挙の雪には匂ひがある。しかも湿度も音もあつて五感に訴へてくる力があるのである。余が応挙を偏愛する所以である。それにしても第七室の屏風襖絵のコーナーはいつ行つても驚くやうな名品が出されてゐて、他の部屋は措いても是非見に行くべきところである。
僅か一時間ばかりだが、空いた時間を使つて寄つた東博で心は豊かに満たされた気がする。後からほぼ同時刻に松岡先生の法然に関する講演が東博であつたことを知るが、どちらにせよ出られなかつたであらうから致し方ない。ミユージアムシヨツプをざつと覗いてから、東洋美術の魅力と奥深さを改めて噛みしめつつ藝大に向かふ。
六時半より東京藝大美術館内の会議室にて香研究会のセミナーに出席。友人の東大教授T氏とともに、今後此の会での講演を依頼される前提での招待といふ形での参加である。
演目は藝大美術館准教授古田亮氏による「香りをみる」で、此の春同美術館で開かれた「香り かぐはしき名宝」展を企画実行した古田氏による展覧会開催までの裏話と、絵画と香りの関連についての講演である。展覧会の企画の実際から展示物借受の苦労など、普段は聞くことのできない話で面白い。また、企画の段階で展示したいと思ひながらも貸出を断られた作品のスライドも見せて貰ひ、それが匂ひを感じるものが多かつたため、キユレーターとしての古田氏の力量に改めて感服す。
八時に講演が終了し、上野駅近くに移動し「音音」なる店にて懇親会。席の関係もあつて古田氏とは余り話せず、イスラム文化に詳しい方やパーリ語やサンスクリツト語を専門とする方などと、香りと関係ない話で盛り上がり、楽しい時間を過ごす。先日出来上つてきた嶺庵の名の入つた名刺を差し出して何人かの方々と名刺交換をする。かうした出会ひに会社の名刺を使ひたくなかつたからこそ作ったものだけに、満足である。また、パトリス・ルコントの映画『髪結ひの亭主』の影響を受けてアラブダンスの真似をして踊つた人に自分以外では初めて出会つた。
T氏とは、懇親会には顔を出すだけですぐに日暮里初音町に飲みに行かうと言つてゐたのだが、気がつくと十一時過ぎてゐたため、懇親会のみで散会となる。店を出る際古田氏と少し話す機会があり、大雅の蘭の画に一番芳香を感じたことを伝へると喜ばれてゐた。また匂ひのエロテイシズムをテーマにした美術展を是非企画して欲しい旨伝へると、それも考へてをられたやうで乗り気であつた。其の後急ぎ帰路に就く。帰着は十二時半前。