嫌ひなひとびと

十月二十六日(水)晴 秋冷
やはり嫌ひなものは嫌ひである。松岡先生の日刊セイゴオにある「キライダ」で共感することが多くて、つひ自分もやつてみたくなつた。
加藤清史郎といふ子役、大人が望む子供らしさを演ずる姿に吐き気がする。自分が子供の頃から、こましやくれた子役の子供には堪へ難い嫌らしさを感じてゐた。
ロビン・ウヰリアムスの嘘くさい善人面も大嫌ひ。
米倉涼子、あの下品な声に虫唾が走る。ああいふ顔も嫌ひ。
大泉洋、いい奴さうな顔つきがたまらく嫌味に感じてとても嫌ひである。
星野仙一、とにかく嫌ひ。良いところが何もない。
顔のむかつく人。幸田来未、壇れい、板野友美小雪、ジヤルジヤル福徳、松居一代河野太郎益若つばさ。嫌ひなタイプ、何となく分かつてもらへるのではないか。
多くの人からすでに嫌はれてゐる人たちは除いた。例へば蓮舫のやうに、嫌はれて既に落目の人をあへてあげつらふ趣味はわたしにはない。あくまでも一般には好かれてゐたり人気がある者の中で嫌ひといふことである。