神仏の加護

昨晩は終戦時の玉音放送以来といふ天皇自らの国民に向けたメツセージに心動かされ、ややアジテーシヨンにも似たことどもを書き連ねてしまつたが、今朝少し冷静になつて「中外日報」といふ宗教界の専門紙のウエツブ版を覗いてみた。各宗門は自派の寺院の被災の把握や其の復興に当たるとともに、義捐金を送り物資支援などは行つてゐるやうであつた。一般の新聞などでは報道されることもないので知らなかつた訳である。柳井の十億やトヨタの支援は報道しても、宗教界の動きを全く伝へない大新聞の偏向報道にも呆れるが、しかしこの「中外日報」を見ても鎮護国家のために護摩を焚くといふ知らせはない。念のため神社本庁天台宗真言宗などのホームページを見てみても、被災者へのお見舞いと復興支援に向けての協力などの表明はあつても、祈願祈祷などへの言及はまつたくない。驚くべきことではないか。僧侶神官が神々の加護や仏の慈悲を信じてゐないから、原発事故調伏への祈りなど考へつきもしないといふことであらうか。宗教家が信じてゐない神や仏を、我々一般民衆はどうして信じることができやう。
政府への失望や被災者への同情からは随分ずれてしまふが、此の天災人災を合はせた大災害の時に真摯に祈りを捧げた宗教があるのかないのかを、わたしはわたしなりの立場としてきちんと注視していきたいと思ふ。実際には、伝へられないだけで、修験道などで祈祷が行はれてゐる可能性もあるからである。
ちなみに、「中外日報」には「震災被災者救援へ連携し取り組みを」と題した社説を掲載してゐるが、

「このような大災害を前にして、宗教者は何をなすべきか。宗派・教団は震災直後から災害対策本部を立ち上げたり、義援金募金を呼び掛けるなど、積極的な被災者支援を開始している。宗祖の大遠忌を目前に控えた真宗各派、浄土宗系宗派の、遠忌行事計画への影響も避けられない。
現地では多くの寺院、神社、教会などの宗教施設が被害を受け、宗教者自身も被災者の立場にいるが、例えば深刻な被害を免れた宮城県松島町の瑞巌寺では、雲水が被災者のために炊き出しを行なっている、という。ほぼ壊滅状態と報じられる岩手県陸前高田市では、奇跡的に倒壊を免れた寺が被災者に避難場所を提供している、との情報もある。」

と現状を伝へた上で、次のやうな提言を行つてゐる。

「今は自衛隊や消防、警察などが主力になって救援活動に当たる段階だが、市民ボランティアと共に宗教者の貢献が強く期待される時期が必ず来るだろう。特に、現地では破壊された地域社会の復興に、寺社などの存在が意味を持ってくるに違いない。
多くの死者、行方不明者があり、おびただしい数の市民が余震の続く中、困難な避難生活を送りつつ救援を待っている現在、被災地復興を語るのはまだ早過ぎる。しかし、遠くない時期、復興へ向けての日々、地域の中で、寺や神社は、他の社会的機関とは異なる存在感を示し、人々を励まし支えることができるはずだ。宗派・教団は、互いに連携しながら、それについて有効な支援策を今から検討すべきではないだろうか。」

一見まともな意見ではあるが、宗教にしか出来ないことの本質を見抜けてゐない気がしてならない。此の国の民の苦しみを救へるのは断じてキリスト教などではないはずだ。復興の局面に入つて人々の心の支へとして機能するためにも、今日本の宗教界がなすべきことは、原発事故終結に向けた神や天への祈りであるとわたしは思ふ。時代錯誤と言はれるかも知れないが、日本人の心の底に宿るこの「困つた時の神頼み」の心性こそが、わたしたちのこの先の力強い復興を可能にする「日本力」の源泉だと思ふからである。