夏冬

十月二十一日(金)晴後陰
此の処毎日服装を変えなくてはならない。一昨日は冬服、昨日は夏服、そして今日は再び冬服である。単衣と袷を日によって選ばねばならない訳だから異常であろう。ところが、こんなに気候が変動しているのに因習固陋なお茶の世界では昔の暦に沿った着物を着なければならないらしい。昨日など、どんなに暑かろうが袷でなくてはならず、勝手に単衣など着ようものなら意地悪婆さん達の集中口撃を受けるのだと言う。茶道というのは季節感を含めてあるがままの自然と対峙しつつ己を見つめ直すのかと思っていたら大間違いであった。特に裏◯家にそういう笑止な規範厳守の風があるというのだから大笑いである。何処に利休の精神があるのであろうか。温暖化を現実として受け止め、その中で自然や季節の僅かな変化に気づき、それを衣装から花から道具からすべてにそっと意匠として忍び込ませることこそ茶の道ではないのか。形骸化した点前だけで済むなら、ロボットを使ってAIでさせた方が遥かに気の効いた座になるのではないかと思う。一服の茶は美味いが、姑息な規則にしばられる茶道は無くなっても困るのは家元だけであろう。