演奏会終了

十月十四日(金)晴
火曜の夜嶺庵で尺八の練習をするうち俄かに寒気を催し、葛根湯を服して休むも翌朝体調優れず。止むを得ぬ仕事のあれば出社するも、午後身体の節々に怠さを覚えて早退す。木曜朝に至って更に喉の痛み加わり、翌日の演奏会を控え休むことにす。終日褥に在り。其の間家内が横浜に漢方薬を求めに行くなど奮闘す。夕方試みに吹くに、音量弱しと雖も何とかなりそう也。明けて本日朝に吹いてみると、喉は鳴り音色ほそく虚吹が揺りになる。絶望的な状態なるも出来得る限りを吹くしかなしと覚悟を決め、家内に咳止めとヴィックス・ベポラッブを買いに走らす。此のふたつが思いの外功を奏したか、やや音量持ち直す。二日ぶりにシャワーを浴び一時半過ぎ出発。三時過ぎ新橋から歩いて内幸町ホールに到着。楽屋に既に二人在り。挨拶を交わす。会費の支払いやら役員への挨拶など済ませた後黒紋付に着替える。袴は五時からのリハーサルの前に着け、やや早まって五時前のリハーサルに臨む。二度ほど全曲を吹き、神先生より幾つか指摘を受ける。その後全員で吹く三谷菅垣のリハーサルを行い、記念撮影の後開演を待つ。六時開場で、その頃弁当を食し、六時半開演。まず総員での三谷菅垣を一尺八寸管で吹く。楽屋に戻り出番を待つ。楽屋では三番目の曲を吹く芸大出の若手のプロが物凄い音量で練習している。そこで吹いても自分を失うだけだと思い吹かず、彼の本番中に吹いてみたら意外に音が出るので安心する。喉もさほど鳴らないようだ。予定より早く進んでいるようなので、早めに舞台の袖に控えるが、前の曲が思ったよりも長く続き、その間に段々緊張して手に脂汗が浮かんで来た。プレゼンテーションはもとより講演やパネルディスカッション等でも上がったことがないので大丈夫だろうと思っていたのだが、体調が万全でないこともあり不安が募り始める。そして私の出番、曲は尺八古典本曲布袋軒鈴慕である。落ち着いて吹き出したつもりが、最初から音が上ずって出ない。何とか音にして続けるが、二つ目のフレーズで音がぶつ切れたり、三つ目では虚吹が揺りになってしまうし、次のツのメリもやや高いがとにかく丁寧に吹くことを心掛けて続ける。調の途中からやや落ち着き、本手に入ると音も安定し始める。高音でヒの音が多くなるにつれ音量も持ち直して、鉢返しになると気持ちよく吹けるようになった。結びは再び丁寧に吹いて終了。客席に身内が多いせいか拍手は一番大きかったように思う。私の曲が最後なので(トリという訳ではなくたまたまそういう順番になっただけ)、急いで羽織を着てロビーに走る。親戚やら招待券を送った知人らの姿がたくさんあり、如道会の面々、岳毋の社中の方々、黒紋付を作って貰った越後屋さん、高校時代の友人など懐かしい顔もあり、それぞれ短い時間ではあったが言葉を交わし感謝の気持ちを表せたのは幸いであった。私の拙い演奏を聴くためにわざわざ足を運んでくださり、お菓子や花、お祝いまで戴き、誠に感謝の思いで一杯である。また、風邪を引いてドタバタとなる中献身的にサポートしてくれた家内には感謝の言葉も見つからない。とにかく、皆さんに支えられて成し遂げられたのだという思いが強い。その後近くのビアホールで竹友会先輩後輩四人と私ども夫婦で打上げ。ほっとしたせいもあり、調子に乗って喋ったため再び喉を痛めてしまった。とは言え楽しく飲んで十一時半過ぎ帰宅。私の演奏会デビューはかくして終わったのであった。