健とすず

十二月十一日(日)晴
午後一で東京ステーションギャラリーに行き「高倉健展」を観る。混むと言われていたがガラすき。内容は出演映画の予告編や一場面が延々と続くだけで何の工夫もなく期待外れ。招待券を貰って行ったからいいようなものの、自分で金を払っていたら怒っていただろう。これを見るなら健さんの映画一本観に行った方が良い。
三時から香席。歳暮香という組香で、十二香中八香を当てる。自分としては最近の中で良い成績、その席でも私が一番当てた数が多かった。香りもよく、気分よく香を楽しむことが出来た。
原宿から二子多摩川にでて六時前から映画『この世界の片隅に』を遂に観る。彼誰同人の推薦の通り、傑作。打ちのめされたと言っていい。本編前に流されるアニメ映画の予告編の、絵も内容も下らなそうな映像をうんざりするほど見せられ、アニメ声優のキンキンした嫌な声を散々聞かされてげんなりした後なのに、柔らかく透明感のある「のん」の声を聞くだけで、嫌な事も全部忘れてしまう。「のんの声がすずに憑依し映画に生命力を与えている」とは、畏友でエンターテイメント評論家岡町氏の評言だが、まさにその通りなので敢て引用させていただく。能年玲奈でなければ成り立たない世界だ。絵も美しく、音響も素晴らしく、科白も実によく練られていて会話が自然で、声優たちもとても素晴らしい。そして、あらためて能年玲奈は日本の宝なのだという思いが強くなる。頭と意地の悪いプロダクションが、今もって彼女の活躍を妨害しているとしたら、それはほとんど国家反逆罪に近い。能年を使いたい映画監督はたくさんいるはずだ。これからも良い作品そして良い監督との出会いを通じて、我々に感動を与える女優として活躍してくれることを祈るばかりである。
昭和八年から終戦に至る、広島や呉に暮らしたごく普通の人たちのありふれた日常が、こんなにも切なく愛しく、ずしりと重く私たちの心に入り込むのだ。どんな状況でも一生懸命普通の生活を続けようとする姿がこんなにも崇高で、心を揺さぶるものであることを、すずさんの姿に教えられた気がする。
高射砲の砲弾が空の向うでボッと黒い煙を上げたり、機銃掃射の銃弾が地面に当る音など、実写よりもはるかに臨場感が出せるところも素晴らしい。すずさんの描いた絵も涙が出るほど素晴らしいし、人情の機微を感じさせるセリフ回しも、最近のテレビや映画、小説ではまずお目にかかれない程の完成度ではないかと思う。今時小説を書くのも読むのも才能の枯渇した人々で、才能のある人はマンガを表現の手段としていることがよくわかる。早速原作のマンガも注文した。内容について多くは語るまい。とにかく見るべし、である。彼誰同人に言わせれば、世上ヒット作として喧伝される「君の名は」ナントカとは比較にならない程の傑作だという。そちらは見ていないが、見るつもりもない。大ヒットというのは、普段映画を見慣れない人もたくさん見ている、ということに過ぎず、そういう人たちが感動しようが、自分にとっては無意味である。大ヒット作と言われた(?)『人間の証明』のつまらなかったことを思い出せば、それも頷けるであろう。私はこれからも、彼誰同人が薦める映画だけを見ることにしようと思っている。