中森玲奈

七月二十三日(水)晴
一年前、毎日朝が楽しみだった。「あまちゃん」を見ていたのだ。今日、中森明夫の『午前32時の能年玲奈』を読んだ。友人が面白いと言うので読みたかったのだが、買うほどでもないと思い図書館で予約を入れると24人待ちという状況で、それで今日になってやっと借りることができたという訳である。もちろん、読んだのは能年に関するものと寺山に関するものなどの数篇のみ、全体の十分の一にも満たない。さて表題の『午前32時の能年玲奈』だが、70年代からの日本アイドル史をコンパクトに語りつつその中に能年玲奈を位置づける手際は中々のものだとは思う。がしかし、私はAKBを始めとする90年代以降のアイドルには全く興味がないので、各時代のアイドルの区分や分析、史観めいた整理の仕方をなるほどとは思うものの、それがマスコミに溢れる凡百のアイドル記事よりどれほど優れているかについての判断基準を持たない。能年玲奈橋本愛の並外れた魅力についての記述には大いに同意するものの、それでもまだ、能年玲奈のあのとてつもない魅力の正体、その核心に迫れているとは思えないのである。もちろん私にもそれは今のところ語り明かし得るものではないし、だからこそ期待を持って読み始めたのだが、結局アイドル論の中に絡め捕られる限り、私が漠然と予感する能年理解の本筋から離れるものであることはすぐに理解できた。ところで、同書に収められた「もし寺山修司が、いま生きていたら」は、微笑みつつ読み終わることのできる楽しい小文であるが、その仮定形はすぐさま私に「もし平岡正明が、今生きていたら」能年玲奈をどう表現していただろうという夢想に誘う。そして改めて、テラシューとヒラマサの不在という「現在」に気づくとき、たかだか40年ほどの歴史しか持たないアイドルという存在よりも、もう少し時間軸を拡げ、戦後を彩る美少女の系譜の中に能年玲奈をきちんと置き直してみたいという誘惑にも駆られるのである。