かをりをりのうた 11

二月七日(日)

むめの香のふりおく雪にうつりせば誰かは花をわきてをらまし
紀貫之

此の歌は傳小野道風筆の有名な「繼色紙」にあるのだが、岩波文庫佐伯梅友先生校注本古今和歌集では、「梅の香のふりおける雪にまがひせば たれかことごとわきて折らまし」となつてゐて、これだと字句の異同を越えて意味が全く變はつてしまふ。古今の方は注で「もし雪にも香があつて、梅の香が降り積む雪に紛れるなら」とあるやうに、雪の香りは梅の花から「うつ」つたものではない。それに對し「繼色紙」の方は、白梅と雪との視覚的および嗅覚的な近似を言ふのは同じでも、雪に梅の香りが移る、あるいは染まることが想像されてゐるのである。この違ひは大きい、と言ふより決定的である。此處は何としても香りのある花からない雪へとにほひが移つてもらはねば困るのである。いくら假想上とは言へ雪が雪そのものの香りを持つことは考へられない。いや、雪にも勿論にほひはあるが、それは梅と間違へられるやうなものではない。私は出光美術館でこの歌を見て、梅の香りが雪といふあえかではかないものに移り、雪が花と競ふやうに香り立つ様を思ひ描いて何と素晴らしい着想だらうと感激した。だから岩波本の歌は採らない。いや、もしかすると岩波本の歌にしたところで、そのやうに讀んでもいいのかも知れない。さうなると注の解釋が間違つてゐることになる。注を付けた先生の名が梅の友といふのが何とも皮肉である。