コロク

十月十六日(金)晴
時差と緊張からか明け方から眠れず朝を迎える。緊張という程のものではないかも知れないが、人前でフランス語でスピーチをするのは初めてなので、うまく行くかな、行かないと格好悪いなというような気持ちである。前回同様たいして食べるもののないホテルの朝食を済ませ、この日は久しぶりにスーツにネクタイで出かける。昨日よりも朝は寒い。パリからコートを持って来て良かった。
グラースは傾斜地にある町なので、車だと坂をカーブで折り返しながら上り、知らないと遠いところにあるように思うところが、歩いてみると結構近くて驚くことがある。コロク(フランス語でシンポジウムのこと)の会場も階段を直線的に上ったら思ったよりもずっと近かった。早めに行ってパリに戻ってからのことを若宗匠と相談したかったのだが、開始の直前まで現れなかった。後で聞くと司会者と打ち合わせていて遅くなったという。しかも、その打ち合わせでそのセッションでは私が初めに話すことになったという。待つ間再びアニック・ルゲレに会ったので京都で買った和紙の栞をお土産として渡す。昨日も上院議員とベダールさんに渡したが、案の定若宗匠も山田松の文香や塗香を土産として用意されていた。
やがて38歳だという若くてハンサムで精力的な現グラース市長の挨拶が始まり、二階に会場を移してコロクが始まった。私は後ろの方に座ったのだが、後から昨日会ったばかりの旧同僚のIさんがすぐ近くに座った。私もこのシンポジウムに来るのだろうとは思っていたが、まさか話すとは思っていなかったようだ。今年のテーマはエジプトなのでアニックが基調演説をしてから、何人かが話し、それからグラース出身の調香師や天然香料生産者が話すセッションとなり、次に私の出るセッションが始まった。すでに予定よりは30分ほど遅れている。司会のカロリスの紹介を受けていよいよ私の出番である。他の人たちはエジプトやイタリー、スペインからの参加者も普通にフランス語で喋るので原稿を読むというよりは司会者の振った質問をもとに思うことを話すという感じである。もちろん自分にそれは出来ないので、原稿を手に持ち目で追いながら、それでもほぼ暗記はしているので出来る限り聴衆の方を向きながら話す。途中2箇所ほど笑いを取れるところを入れておいたのだが、もちろん爆笑という訳にはいかないが、前の方で熱心に聞いてくれていた数人は笑ってくれ場が和んだ気がする。自分が外国人の下手な日本語でスピーチをするのを聞く時など、まじめにやればやられる程聞いている方が疲れるのを知っているので、何としても途中でストレスを和らげたかったのである。
話したのは、甲斐荘楠香がいつどのような目的でヨーロッパに渡り、いかなる経緯でグラースに来たか、そしてここで何を学んだかといったことである。慌てぬよう心掛けたので、言い間違いも少なく、まあまあの出来ではなかったかと思う。やっと終わったと思ってほっとしたら、司会者が私自身に関することを質問して来て、これには冷や汗をかいた。それも終わり、後は他の人の話を聞いているふりはしていたが殆ど耳に入らなかった。最後の若宗匠の話はもちろんきちんと聞いた。弟子でバリ在住のFさんの通訳は適切ではあったが、それでも中々細かいニュアンスを伝えるのは難しいようである。
我々のセッションの後にもう一つあって、コロクは終わった。恐らくこの時点で一時間遅れである。これから昼食会場のジャルダンに行くのだが、各自の車で行く人や分乗したり、ミニバスに乗る人などいろいろで、中々出発しない。結局私は上院議員ルルー氏の運転する車にフランス文化庁の役人でグラースのユネスコ登録に極めて協力的な人と、グラースで香料製造に携わる女性と同乗してジャルダンに向かったが、これが結構遠い。着いてビールを飲みながら全員揃うのを待つから時間はどんどん経って昼食が始まったのは3時に近かった。
ところで、この間色々な人たちと喋った。派手な格好をした中年の日本人女性から「〇〇先生ですか?私、ファンなんですう」と名刺を渡されたり、元同僚のIさんの今の同級生で魅力的なイタリア人女性フラビス、グラースで薔薇を育てている中年女性といった人たちである。挙句に食事の席ではアニックと若宗匠の隣でカロリス氏やニースに迎えに来てくれた市の職員も近くの席だったので、わりとリラックスして食事と会話を楽しむことが出来た。アニックとは色々喋ることが出来た。面白いのはコロクで堅苦しいフランス語を喋る緊張から解放されたせいか、意外にすらすらとフランス語が出て来たことである。羊肉のメインはさすがに重くて少し残したが、楽しい食事であった。
この後ジャルダンを巡るツアーか香料会社の見学ツアーはあるのだが、すでに予定より大幅に遅れていて、若宗匠はここから空港に直行してパリに戻ることになり、私も香料会社は何度も見学しているのでパスしたかった。幸いフラビスが車で来ていてIさんとグラースに戻るというので乗せてもらってグラースに戻ることにした。車中彼女たちの暮らしぶりや将来の希望などを聞くことが出来た。ホテルの近くまで送ってもらい、フラビスとツーショット写真を撮って貰ってからホテルで休むことにした。さらに7時に同じ3人で、今日のプログラムの最後となるカテドラルでの音楽付きの朗読劇のようなものを観に行く。雰囲気は中世的で面白かったが、ところどころ意味がわかるだけでストーリーを追うことは出来なかった。その後は友達の誕生日パーティに行くという二人と別れ、ホテルに戻って何も食べずに早く寝た。明日の出発を早くしたので余計である。