全集

十一月二十六日(木)雨後晴後陰
塚本邦雄の小説を余は全集で讀んでゐるが、小説は僅か三巻しかないことに氣づいてしまつた。もう少しあると思つてゐたので殘念である。濃密で絢爛たる文章は魅力的でずつと讀んでゐたい氣持になる。澁澤龍彦より遥かに高貴で三島由紀夫よりも高踏的で文學的ではないかと思ふ。いや、近代の作家の中でも、文章の巧さといふ點で言へば、かなり上位に來るのではないか。鷗外漱石は別格としても、潤一郎や荷風と比べても遜色を感じない。短歌を中心にしてゐた爲に、其の力量に比べ讀者が少ないのが殘念である。
ところで邦雄の全集は出版が比較的新しいこともあるが、古書でもそれなりの値段である。短歌は奏合歌集を持つてゐるので、後は主に評論と小説を今後購ふことになると思ふが、さう易々と買へさうにはない。ところが、邦雄と併せて論じようとしてゐる白秋の全集は、アマゾンで見ると信じられないやうな安値で出品されてゐる。思はず「桐の花」が収められた第六巻を購入してしまつたが、それが何と三円である。岩波のきちんとした造本の箱入りの四百六十頁以上ある本がタダ同然で賣られてゐる。安く手に入れた喜びよりも悲しさが先立つ。全集の分厚い本は確かに場所は取るが、紙質は良いし活字も大きく、そして何より舊字舊假名で印字されてゐるので讀むのが樂しい。恐らく、正にその點が市場から安く見積もられる要因なのであらう。要するに正しく美しい日本語が敬遠されてゐるのである。日本語と日本の文化にとつて嘆かはしい状況と言はざるを得ない。