ノートを捨てる

十月十九日(日)晴
昨日に續き衣更へと書斎の片付を為す。衣類を大量に捨て、又文書やノートといつた紙類も大量に捨てる事とす。學生時代のノートも今までは大事に持つてゐたのだが、流石に無用と思はれるものも多く、竟に廃棄を決意した。又其の後に自分の興味に沿つて讀んだ本から抜き書きしたり、思ふ所を書き連ねたテーマ毎のノートも數多いのだが、大抵は興味を失くしたのか途中で終つてゐて、其れ等も捨てる事にした。捨てたノートのテーマは下記の通り。

ところで、思ひがけず見つけ出したノートに「CWS」と題されたものがあつた。20年以上前に通った、Creative Writing School時代のノートである。一角名の知られてゐたらしい或る文藝關係の編集者が始めたスクールで、中に週一回著名な作家や評論家、文学者の話を聞く講座のようなものがあり、其の際取つたノートだつたのである。見返してみると思ひの他有名人の話を聞いてゐた事に今さらながらに驚く。吉本隆明多木浩二浅田彰高橋源一郎椎名誠金井美恵子蓮實重彦なんかが來てゐた。中でシヨツクだつたのは、山口昌男も來てゐて、しかも内田魯庵について話してゐることに気づいた事だ。丁度「えるめす」に連載中の時期に當るから、山口先生きつと樂しさうに面白い話をして呉れてゐた筈なのに、當時の自分には少しも響かなかつたやうで、何とも惜しいとしか言ひやうがない。あの學校はもの書きを育てるといふ触れ込みなので、余もうだつが上がらないサラリーマンからの起死回生を狙つて高い金払つて通つたのであつたが、余は結局もの書きにはなれなかつたし、其処で知り合つた人たちとの交際も今や完全に絶えてしまつたから、余の人生に何の足しにもならないものだと思つてゐたが、今にして思へば余自身が其の場から多くを學べるだけの素養も気構へも足りない事による不首尾だつたのであらう。まあ、正直言つて、あそこに通つたといふのは恥ずかしい過去に属する。小説家にならうとした最後のあがきだつたからである。