槍持ち

十月十七日(金)晴
蹴球の試合をする為に、日本代表の若手が運轉する車に乘り、河川敷を大迂回して着いたところは料亭風の建物である。初老の小柄な主人が背広姿で出迎へてくれ、余と家人を中に通すと成程ご馳走がたくさん出て來る。其の後余は遂に試合に出る事になるのだが、渡されたのは二本差しである。持つと長刀の柄(つか)がぐにやぐにやで、之ではやりにくからうと思ひながらも腰に差すと、更にもう一本渡されたのが槍である。余り長くはないが、木製の柄の先に反り返つた刃がついてゐるから槍に間違ひはない。余は、自分が之を持つのか、といふやうな顔をしたのであらう。即座に側の者が、勿論槍持ちが付きますと言ふ。直ぐに屈強さうな中間者が現れて槍を持つた。成程侍といふのはかういふものかと合点し、今度は料亭の主人の運轉する車の後部座席に家人と乘り込む。車が出てすぐに、余は槍持ちも連れて行つてやりたい旨を傳へるが、身分の違ひ故さういふのは許されぬのかも知れぬと思つたり、一方で主人の居ぬ間に居眠りして寛ぐ槍持ちの姿も目に浮かぶ。いづれにせよ、此の度は料亭の主人に大變世話になりかたじけないので、能の舞臺を一席貸切りにして御禮にしやうと思ふ。併し其には相当な額が掛るだらうから、席も多い事だし知人に五千圓で聲を掛けたら來て呉れるだらうかと算段を始めてゐた。